コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

シトー会 シトーかい Sacer Ordo Cisterciensis

5件 の用語解説(シトー会の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シトー会
シトーかい
Sacer Ordo Cisterciensis

1098年フランスシトーに創立されたカトリック修道会。モレームのベネディクト会修道院の修士たちが規律のゆるみを嫌い,戒律に厳格に従うためその大修院長ロベルトゥス (ロベール) の指導を仰いで新たに開いたもの。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

シトー会【シトーかい】

ラテン語でOrdo Cisterciensis。ベネディクトゥス会則を忠実に守る厳格な修道生活をめざして,1098年モレーム修道院長ロベールによりフランスのシトー(ディジョンの南約25km)に創設された修道会。
→関連項目アルコバーサ修道会フォントネーのシトー会修道院ポブレット修道院マウルブロン修道院

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

シトーかい【シトー会 Ordo Cisterciensis[ラテン]】

フランス東部の荒野シトーCîteauxベネディクト会モレーム修道院長ロベールRobert de Molesmeが,原始修道制への復帰を念願して1098年に創始した革新的修道会。修道士志願者が減少し修道院の世俗化が目にあまる時勢を憂えて,創立者は〈ベネディクトゥスの会則〉の厳格な励行,粗衣粗食の質素な生活,荒地の開墾作業などによる霊性の復興をめざした。ロベール自身は1年後ベネディクト会へ戻ったが,第3代修道院長ハーディングStephen Hardingの時代(1109‐33)に規律と組織の面で基礎が固められ,特にシャンパーニュ貴族ベルナールとその一族多数の入会(1112)以来会勢は急速な発展をとげた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

シトーかい【シトー会】

カトリック修道会の一。ベネディクト会改革派(原始会則派)の一派で、1098年フランスのシトー(Cîteaux)に創設された。 → トラピスト

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シトー会
しとーかい
Sacer Ovdo Cisterciensisラテン語

聖ベネディクトゥスの会則による、ローマ・カトリックのベネディクト会原始会則派のもっとも重要な一派。清貧、質素な隠修士的生活のなかで、祈りと労働によって神に仕え、たたえることを目的とする。1098年モレームの聖ロベルトゥスRobertus(1018―1110)により、ブルゴーニュのシトーCteauxに開かれた修道院に始まるが、12世紀のクレルボーのベルナルドゥスの力によって大いに隆盛をみた。近世に入って衰え、フランス革命で大打撃を受けたが、革命後ラ・トラップの修道院を中心に、より禁欲的で荘厳な典礼や修道士の労働を重視する、いわゆるトラピストがおこり、厳律シトー会として独立した。日本にはこのトラピストが1896年(明治29)に早くも渡来し、現在、函館(はこだて)をはじめ二つの男子修道院、四つの女子修道院をもつ。[鶴岡賀雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のシトー会の言及

【キリスト教美術】より

…とくに東方キリスト教社会(ビザンティン社会)では,8~9世紀に激しい聖像論争が行われ流血の惨をさえ見,多くの図像芸術が破壊された。西ヨーロッパでは比較的順調にキリスト教美術が発展したが,それとても偶像崇拝あるいは過度の感覚的美術に対する警戒心は失われず,とくに12世紀のクレルボーのベルナールおよび彼の指導下にあったシトー会は,修道院建築から感覚的な装飾(およびぜいたくな素材を用いた宗教美術)を一掃すべきことを強く主張した。それによって独自の簡潔な性格をもつ宗教芸術がシトー会を中心として12~13世紀のヨーロッパに栄えた。…

【クリュニー修道院】より

…〈崇高壮大な美は,神の栄光の地上的象徴であり,その感覚的歓びの享受を通して魂は神の栄光へと導かれる〉という,後にサン・ドニ修道院長シュジェール(スゲリウス)によって表明されることになる芸術理念が,ここに結晶化された。ロマネスク芸術の一方の範例たるクリュニー修道院の芸術は,清貧の美を求める他方のシトー会カルトゥジア会の禁欲的芸術理念と対立し,激しい批判を浴びた。中世のもっとも完ぺきな建築とされた第3聖堂は,フランス革命期に売却解体され(1798‐1819),今日では大翼廊南袖廊と内陣柱頭彫刻などをわずかに残すのみで,その全貌は測りがたい。…

【修道院】より

…労働時間は1日6~8時間で農耕,植物栽培のような戸外作業だけでなく,製粉,パン焼き,台所作業,筆耕,掃除,病人看護などもあった。
[シトー会とフランシスコ会による革新]
 〈ベネディクトゥス会則〉はカロリング時代には広く普及したが,当時の修道院は西欧最初の文化創造運動であるカロリング・ルネサンスにも促進的役割を果たした。9世紀から10世紀にノルマン人(バイキング),マジャール人,イスラム教徒の攻撃で荒廃した修道院は,クリュニー修道院やロートリンゲン地方の修道院改革によって再び活性化し,11世紀後半のグレゴリウス改革にも貢献したが,12世紀以降は修道形態そのものを革新する。…

【トラピスト修道会】より

…カトリック教会の一観想修道会。正式には1899年以来改革シトー会Ordo Cisterciensium Reformatorum,1902年以来厳律シトー会Ordo Cisterciensium Strictioris Observantiaeと称される。トラピストはフランス,ノルマンディーのオルヌ県にあるその改革修道院ラ・トラップLa Trappeから出た親称。…

【フォントネー】より

…フランス中部,コート・ドール県の村。シトー会の総帥クレルボーのベルナールにより1119年に創設された,クレルボー修道院の支院(娘修道院)がある。同院は16世紀まで300人以上の修道士を数えたが以後衰退し,フランス革命後製紙工場と化す。…

※「シトー会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

シトー会の関連キーワードフランシュコンテフラングレアナトールフランス須賀の荒野オルナンフランス領ソマリランドポルトーフランセテロリストの荒野アナトール・フランスCîteaux

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

シトー会の関連情報