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シトー会 シトーかいSacer Ordo Cisterciensis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シトー会
シトーかい
Sacer Ordo Cisterciensis

1098年フランスのシトーに創立されたカトリック修道会。モレームのベネディクト会修道院の修士たちが規律のゆるみを嫌い,戒律に厳格に従うためその大修院長ロベルトゥス (ロベール) の指導を仰いで新たに開いたもの。クレルボーのベルナルドゥスの入会後興隆したのでベルナルド会とも,またその修道服から「白衣の修道士」とも呼ばれる。3代目の修道院長のとき基礎が固まった。すなわち,規律によらない衣食を禁じ,絶対的共同生活を規定し,周囲の社会との交流をもたらす所有を禁じ,労働を再導入した。会員が同じ戒律,習慣に服すること,全修院長が1年に1度シトーに集り総会を開くこと,母体となった修道院の院長はそこから派生した各修院を1年ごとに巡察することの3点を特色とした。また牧羊によって毛織物を中心に 12世紀の経済界でも重要な役割を果した。 12世紀を過ぎると衰退に向い,宗教改革時に北方でのシトー会は消滅。 17世紀のド・ランセの改革による厳律シトー会はトラピスト修道会として知られる。女子修道院は 12世紀初めより存在し,ポール・ロワイヤルもシトーの系列に入る。なお,創立期の建物は無装飾を特色とし,初期ゴシックの代表的なものである。

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デジタル大辞泉の解説

シトー‐かい〔‐クワイ〕【シトー会】

《〈ラテン〉Sacer Ovdo Cisterciensis》カトリック修道会の一。ベネディクト修道会の一派で、1098年フランスのシトーに開かれた修道院に始まる。のち厳律シトー修道会(トラピスト)が分離独立。

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百科事典マイペディアの解説

シトー会【シトーかい】

ラテン語でOrdo Cisterciensis。ベネディクトゥス会則を忠実に守る厳格な修道生活をめざして,1098年モレーム修道院長ロベールによりフランスのシトー(ディジョンの南約25km)に創設された修道会。
→関連項目アルコバーサ修道会フォントネーのシトー会修道院ポブレット修道院マウルブロン修道院

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世界大百科事典 第2版の解説

シトーかい【シトー会 Ordo Cisterciensis[ラテン]】

フランス東部の荒野シトーCîteauxにベネディクト会モレーム修道院長ロベールRobert de Molesmeが,原始修道制への復帰を念願して1098年に創始した革新的修道会。修道士志願者が減少し修道院の世俗化が目にあまる時勢を憂えて,創立者は〈ベネディクトゥスの会則〉の厳格な励行,粗衣粗食の質素な生活,荒地の開墾作業などによる霊性の復興をめざした。ロベール自身は1年後ベネディクト会へ戻ったが,第3代修道院長ハーディングStephen Hardingの時代(1109‐33)に規律と組織の面で基礎が固められ,特にシャンパーニュ貴族ベルナールとその一族多数の入会(1112)以来会勢は急速な発展をとげた。

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大辞林 第三版の解説

シトーかい【シトー会】

カトリック修道会の一。ベネディクト会改革派(原始会則派)の一派で、1098年フランスのシトー(Cîteaux)に創設された。 → トラピスト

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シトー会
しとーかい
Sacer Ovdo Cisterciensisラテン語

聖ベネディクトゥスの会則による、ローマ・カトリックのベネディクト会原始会則派のもっとも重要な一派。清貧、質素な隠修士的生活のなかで、祈りと労働によって神に仕え、たたえることを目的とする。1098年モレームの聖ロベルトゥスRobertus(1018―1110)により、ブルゴーニュのシトーCteauxに開かれた修道院に始まるが、12世紀のクレルボーのベルナルドゥスの力によって大いに隆盛をみた。近世に入って衰え、フランス革命で大打撃を受けたが、革命後ラ・トラップの修道院を中心に、より禁欲的で荘厳な典礼や修道士の労働を重視する、いわゆるトラピストがおこり、厳律シトー会として独立した。日本にはこのトラピストが1896年(明治29)に早くも渡来し、現在、函館(はこだて)をはじめ二つの男子修道院、四つの女子修道院をもつ。[鶴岡賀雄]

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世界大百科事典内のシトー会の言及

【キリスト教美術】より

…とくに東方キリスト教社会(ビザンティン社会)では,8~9世紀に激しい聖像論争が行われ流血の惨をさえ見,多くの図像芸術が破壊された。西ヨーロッパでは比較的順調にキリスト教美術が発展したが,それとても偶像崇拝あるいは過度の感覚的美術に対する警戒心は失われず,とくに12世紀のクレルボーのベルナールおよび彼の指導下にあったシトー会は,修道院建築から感覚的な装飾(およびぜいたくな素材を用いた宗教美術)を一掃すべきことを強く主張した。それによって独自の簡潔な性格をもつ宗教芸術がシトー会を中心として12~13世紀のヨーロッパに栄えた。…

【クリュニー修道院】より

…〈崇高壮大な美は,神の栄光の地上的象徴であり,その感覚的歓びの享受を通して魂は神の栄光へと導かれる〉という,後にサン・ドニ修道院長シュジェール(スゲリウス)によって表明されることになる芸術理念が,ここに結晶化された。ロマネスク芸術の一方の範例たるクリュニー修道院の芸術は,清貧の美を求める他方のシトー会カルトゥジア会の禁欲的芸術理念と対立し,激しい批判を浴びた。中世のもっとも完ぺきな建築とされた第3聖堂は,フランス革命期に売却解体され(1798‐1819),今日では大翼廊南袖廊と内陣柱頭彫刻などをわずかに残すのみで,その全貌は測りがたい。…

【修道院】より

…労働時間は1日6~8時間で農耕,植物栽培のような戸外作業だけでなく,製粉,パン焼き,台所作業,筆耕,掃除,病人看護などもあった。
[シトー会とフランシスコ会による革新]
 〈ベネディクトゥス会則〉はカロリング時代には広く普及したが,当時の修道院は西欧最初の文化創造運動であるカロリング・ルネサンスにも促進的役割を果たした。9世紀から10世紀にノルマン人(バイキング),マジャール人,イスラム教徒の攻撃で荒廃した修道院は,クリュニー修道院やロートリンゲン地方の修道院改革によって再び活性化し,11世紀後半のグレゴリウス改革にも貢献したが,12世紀以降は修道形態そのものを革新する。…

【トラピスト修道会】より

…カトリック教会の一観想修道会。正式には1899年以来改革シトー会Ordo Cisterciensium Reformatorum,1902年以来厳律シトー会Ordo Cisterciensium Strictioris Observantiaeと称される。トラピストはフランス,ノルマンディーのオルヌ県にあるその改革修道院ラ・トラップLa Trappeから出た親称。…

【フォントネー】より

…フランス中部,コート・ドール県の村。シトー会の総帥クレルボーのベルナールにより1119年に創設された,クレルボー修道院の支院(娘修道院)がある。同院は16世紀まで300人以上の修道士を数えたが以後衰退し,フランス革命後製紙工場と化す。…

※「シトー会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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