シュウィーツ(英語表記)Schwyz

改訂新版 世界大百科事典 「シュウィーツ」の意味・わかりやすい解説

シュウィーツ
Schwyz

スイス連邦を構成するカントン(州)およびその州都名。市の人口は1万3000(1992)。カントンは面積908km2,人口13万8832(2006)。1173年以来ハプスブルク家の所領に属したが,1240年神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世のイタリア政策に荷担して〈自由特許状〉を獲得した。91年にウーリ,ウンターワルデンと〈永久同盟〉を結び,スイス連邦形成の核となった。1315年,ハプスブルク家の武力攻撃にあたって同家の精鋭騎士軍をモルガルテンで壊滅させ,その名をヨーロッパにとどろかせた。そのため,この名がスイスの国名を表すもとになり,現在のスイス国旗も赤地の右肩に白十字をつけたシュウィーツの旗に由来する。14世紀後半から15世紀前半にかけて周辺に領域支配地を獲得していったが,チューリヒ利害が対立して古チューリヒ戦争(1436-50)を引き起こした。チューリヒが旧敵ハプスブルク家の援助を求めたのに対し,シュウィーツは永久同盟を核にしたスイス盟約者団をまとめて勝利し,盟約者団のリーダーとなった。16世紀の宗教改革にあたってはカトリックにとどまり,反宗教改革の一翼を担った。〈自由と平等〉の理念を広げたフランス革命は,領域支配地の〈非完全市民〉に影響を与え,19世紀前半にはシュウィーツは政治的に混乱した。スイスの内乱ともいえる分離同盟戦争(1847)のときには,保守派の分離同盟側に立ち,敗北した。1848年のスイスの新しい連邦体制の出発にあたって13世紀以来続いていたランツゲマインデ(直接民主制住民集会)を廃止し,代議制をとった。19世紀後半に繊維工業が発展したが,経済的に立ち遅れ,スイス連邦内での地位を低下させた。現在はスイス建国史に関する史跡の観光基地となっている。

 シュウィーツの民俗的行事の中に〈日本人劇〉と呼ばれる謝肉祭劇がある。1863年に,遅々として進まない日本とスイスとの通商交渉を揶揄(やゆ)した《日本のスイス》を上演したことから始まり,今日まで続いている。直接日本がテーマになったのは《日本のスイス》だけで,その後は謝肉祭劇当日だけ役者仮想の日本人となって劇を演じ,楽しむ趣向をとっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュウィーツ」の意味・わかりやすい解説

シュウィーツ
しゅうぃーつ
Schwyz

スイス中部、シュウィーツ州の州都。人口1万3934(2001)。田園都市であるが、繊維、家具などの工業もある。1291年のスイス独立運動における三州盟約の唯一の古文書を蔵する連邦古文書館、中心広場から放射状に広がる道路沿いに並ぶ長屋造りの民家、市庁舎、旧領主屋敷などみるべきものがある。鉄道も自動車道も市の西郊を通過するため、この町には田園的雰囲気がいまもって残されている。

 シュウィーツ州は面積908平方キロメートル、人口13万1400(2001)。スイスの独立にあたり、ウリ、ウンターワルデンの2州とともに盟約三州(原初三州)の一つとして、現在のスイス国家形成の中心となり、国名の「スイス」はこの州名に、また国旗はこの州の紋章に由来する。州の面積の94%は農耕可能地で、住民のほとんどはドイツ語を話し、カトリック教徒である。高山、亜高山地域を含むこの州の中核地は、地質構造運動により成立し、氷期に氷食を受けたブルンネンからアルトに至る谷底平野である。ここは1866年以降ゴタルド街道の、1882年以降はゴタルド鉄道の通過地で、交通上重要な位置を占めている。この州は周辺地域同様に牧畜地域で、北イタリアへの家畜輸出を目的に集約的牧牛が盛んである。チューリヒ州、ザンクト・ガレン州に接する地域では繊維加工、家具、食品、印刷などの工業が行われる。

[前島郁雄]

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