シュリーマン(英語表記)Schliemann, Heinrich

  • 1822―1890
  • Heinrich Schliemann

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]1822.1.6. ノイブコー
[没]1890.12.26. ナポリ
ドイツの考古学者。貧しい牧師の家に生れ,店員,商会の書記などの職業を経たのち,ロシアで実業家として成功し,巨富を得た。 41歳で業界を引退し,世界漫遊旅行ののち,パリで考古学を学ぶ。少年時代に感動を受けたホメロスの物語が架空のものではないと信じ,トロイ発見のためトルコのヒッサリクを発掘し (1871~73) ,城壁財宝などを発見して,トロイ文明の実在を証明した。さらに,ミケーネ (76) ,オルコメノス (80) ,ティリンス (84~85) をも発掘し,ミケーネ文明の存在を明らかにした。彼は近世最大の考古学者の一人であり,その発掘方法には批判される点もあるが,ギリシアの先史文明を考古学的に実証した功績はきわめて大きい。

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百科事典マイペディアの解説

ドイツの考古学者で,トロイアミュケナイなどの発見者。貧しい牧師の家に生まれ,大商人として財をなしたのち,ホメロスの叙事詩にあるトロイアの地を小アジアのヒッサルリクと推定して1870年に発掘を開始した。4度にわたる発掘で,丘から多層の城壁や宮殿,住居の跡を発見し,トロイア文明を設定。次いでミュケナイ,さらにオルコメノスティリュンスを発掘してミュケナイ文明を提唱し,エーゲ文明研究の端緒を開いた。著書に《トロイアの古代》《ミュケナイ》《イリオス》などがある。
→関連項目デルプフェルトトロイア戦争ミュケナイ文明

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世界大百科事典 第2版の解説

1822‐90
ドイツの考古学者。ミュケナイ文明ミノス文明の発見者。北ドイツの貧しい牧師の子に生まれたが,少年時代にホメロスの物語に魅了されてトロイアの都の実在を信じ,その発掘を決意する。しかしその前半生は独立のためのの追求のうちに過ぎる。中学を終えると小売店小僧徒弟,下級船員,商社の社員などの職を転々としながら,少年時の夢を堅持し,また十数ヵ国語を習得する。ようやくロシアにおいて巨富を得ると実業第一線から退き,自力による初志の実現に入する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

古代のトロヤの遺跡の発見者として広く知られるドイツの考古学者。ドイツ北部、バルト海に面するメクレンブルク州で牧師の子として生まれる。幼時からホメロスの物語にあるトロヤの遺跡の実在を信じ、これの発見を生涯の目的とした。前半生はこのための資金づくりのためロシアに移住しインド藍(あい)の貿易商を営み巨利を得た。40歳代前半には事業をやめ、世界旅行をしている。このとき中国や日本にも立ち寄っている(1865)。ついでギリシア古代史の本格的な研究に入り、ギリシア、小アジアを訪れている(1868)。翌年、アテネ生まれでホメロスの詩編に精通するソフィア(1852―1932)と知り合い結婚する。

 1870年に小アジア北西部のヒッサリクHissarlikの丘に初めて鍬(くわ)を入れ、引き続き73年まで行った発掘調査で、この地が古代のトロヤの遺丘であることを立証して大きな衝撃を世界に与えた。この調査は引き続きドイツのデルプフェルトの協力を得て、彼の没年まで続行された。トロヤの発掘と併行して、ギリシア本土でもミケナイ、ティリンスなどの発掘を行い、彼の生涯の目的であったホメロスの世界の実在性を立証した。晩年はアテネに邸宅を構え、古代の世界にふける優雅な生活を送ったが、1890年12月26日、ナポリで急死した。各遺跡の報告のほかに、自叙伝である『古代への情熱』がある。

[寺島孝一]

『村田数之亮訳『古代への情熱』(岩波文庫)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

(Heinrich Schliemann ハインリヒ━) ドイツの考古学者、実業家。少年時代に読んだホメロスの詩を史実と信じ、実業家として成功したのち、一八七〇年小アジアのヒッサルリクの丘を発掘してトロイの実在を証明。さらにミケーネ、イタカなどを発掘し、エーゲ文明研究の端緒を開いた。自叙伝「古代への情熱」がある。(一八二二‐九〇

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

1822〜90
ドイツの考古学者
少年時代にホメロスの作品を愛読してトロヤの実在を信じ,実業家として成功し巨富を築いたのち,自費でトロヤの丘の発掘に着手(1870)した。晩年まで7層の住居跡を判別し,城壁・住居・財宝を発見。1876年からミケーネ・ティリンス・オルコメノスなどを発掘して,エーゲ文明研究の基礎を築いた。著書に,自伝『古代への情熱』などがある。

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世界大百科事典内のシュリーマンの言及

【トロイア】より

…この小丘は前3000年ころからローマ時代にいたる住居層が重なって,東西約100m,南北約115m,高さ36mほどの遺跡の丘となっていた。伝説上のトロイアの都が実在すると信じたシュリーマンが,1871年はじめて手をつけ,以来4回の発掘によって,宮殿,城壁,財宝を発見し,多くの著書によってその信念を実証した。彼の死後は協力者であったデルプフェルトが1893‐94年に精密な発掘調査を行い,トロイア遺跡の各時期,遺構,遺物の科学的解明を行った(《トロヤとイリオン》1902)。…

【ミュケナイ】より

…近代ギリシアの独立後,1837年にアテネ考古学協会が設立され,41年に協会の一幹部が同協会の事業として試みたのがミュケナイ発掘の最初である。次いで74年に,前年トロイアにおいて〈プリアモスの財宝〉を掘り当てていたシュリーマンがアクロポリスにおいて34ヵ所の試掘を行った。本格的な発掘は76年城門内の円形墓域において行われ,5基の竪穴墓から黄金の仮面をはじめとする大量の黄金製品と青銅刀剣類その他の副葬品が出土した。…

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