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シュルツェ シュルツェ Schultze, Max Johann Sigismund

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シュルツェ
シュルツェ
Schultze, Max Johann Sigismund

[生]1825.3.25. フライブルク
[没]1874.1.16. ボン
ドイツの動物学者,細胞学者。ベルリン大学で J.ミュラーに師事。のちハレ大学講師となり,ボン大学教授 (1859) ,同大学解剖学部長 (72) 。 1861年にシュルツェは,細胞とは細胞核とそれを取囲む原形質とが合体したものと定義した。

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シュルツェ
シュルツェ
Schulze, Gottlob Ernst

[生]1761.8.23. ヘルドルンゲン
[没]1833.1.11. ゲッティンゲン
ドイツの哲学者。 1788年ヘルムシュテット,1810年ゲッティンゲン各大学教授。懐疑論の立場に立ち,カント批判哲学に反対した。 A.ショーペンハウアーの師。主著『アイネシデモス』 Aenesidemus (1792) ,『理論哲学批判』 Kritik der theoretischen Philosophie (2巻,1801) ,『人間的認識について』 Über die menschliche Erkenntnis (32) 。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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百科事典マイペディアの解説

シュルツェ

ドイツの細胞学者。ベルリン大学でJ.ミュラーに指導される。ハレ大学を経てボン大学教授となる。顕微鏡による組織学研究に従事,F.デュジャルダン〔1801-1860〕の命名した動物のサルコード(肉様質)は植物のプロトプラズマと同じものであることを確認。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

シュルツェ Schultze, Wilhelm

1840-1924 ドイツの医師。
1840年3月28日生まれ。明治7年(1874)B.C.L.ミュラーの後任として来日し,東京医学校の外科教師となる。日本にはじめてリスターの消毒法をつたえた。一時帰国をはさみ7年間在職し,14年帰国。のちシュテッティン市病院長。1924年6月16日死去。84歳。ベルリン出身。ベルリン大卒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

シュルツェ

没年:1924.6.16(1924.6.16)
生年:1840.3.28
明治期に来日したお雇い外国人。ドイツ人医師。シュルツとも記す。ベルリン生まれ。ベルリンのフリードリッヒ・ウィルヘルム医学校を1863年に卒業,陸軍軍医となり普仏戦争(1870~71)に従軍後ロンドンに行き,リスターのもとで消毒法を習得。1872年帰国し,ドイツにリスター法を導入。わが国ではミュラーが明治7(1874)年7月に契約切れを機に東京医学校(東大)を去ったので,後任の推挙を当時ベルリンにいた池田謙斎に依頼しシュルツェと交渉,承諾が得られ,同年12月に来日し,東京医学校の教師となる。内科を担当したウェルニヒがその1カ月前に来日しているが彼は2年後に帰国,その後任のベルツは来日した際まずシュルツェと会い,その後は研究の面でも親交を持った。 シュルツェは外科学を主にし,外科臨床講義の他,眼科学も講じた。またわが国にリスター法を紹介,これを定着させた。もっとも当時の手術は四肢切断,腫瘍摘出,痔瘻手術などで,内臓外科には未だ到達しなかった。東京医学校との契約は3年間であったが,満期直前の10年10月にいったん帰国。そのさい東大医学部(10年4月より東京医学校が改称)の外国人教師らは再任を求める上申書を出している。約1年後に再び来日し,14年4月帰国。その後はステッチン市病院長などを歴任した。富士登山などもし,人々から慕われた。<参考文献>酒井シヅ「シュルツェとスクリバ」(『医学近代化と来日外国人』)

(長門谷洋治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

シュルツェ【Max Johann Sigismund Schultze】

1825~1874) ドイツの解剖学者。顕微鏡により広範囲にわたる動物組織を研究。原形質の概念を確立した。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シュルツェ
しゅるつぇ
Maximilian Johann Sigismund Schultze
(1825―1874)

ドイツの動物学者。ベルリン大学で医学を学ぶ。ホール大学解剖学準教授(1854)、ボン大学解剖学教授(1859)となる。脊椎(せきつい)動物、扁形(へんけい)動物、原生動物の組織や細胞について顕微鏡を用いて研究し、顕微解剖の新分野を開拓し、この領域の発展に大きく寄与した。「筋肉小体および細胞と名づけているものについて」という論文(1861)において、動物細胞の含有物であるサルコード(筋肉様物質)と植物細胞にみられる原形質は同一のものであると断定し、原形質という統一的な術語を確定したうえで、細胞はひとかたまりの原形質と一つの核をもっているという定義を初めて明らかにした。ほかに、脊髄神経の経路、視神経、嗅(きゅう)細胞や魚の発電器の構造、渦虫(かちゅう)類および根足虫(こんそくちゅう)類の形態についても研究した。1862年には顕微解剖に関する専門誌『顕微解剖学論叢(ろんそう)Archiv fr mikroskopische Anatomieを創刊した。[片島 亮]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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