シュワイツァー(英語表記)Albert Schweitzer

改訂新版 世界大百科事典 「シュワイツァー」の意味・わかりやすい解説

シュワイツァー
Albert Schweitzer
生没年:1875-1965

フランスの哲学者,神学者,オルガン奏者,医師。当時はドイツ領であったエルザスアルザス)のカイザースベルク(ケーゼルベール)に生まれ,シュトラスブルク(ストラスブール)大学に学んで《カント宗教哲学》(1899)により哲学博士となる。そのあとJ.S.バッハの研究とパイプ・オルガンの演奏に傾倒するとともに神学研究を進め,1902年には同大学講師となり,《メシア受難の秘密》(1901),《J.S.バッハ》(1905),学問的に高く評価された《ライマールスよりウレーデまで--イエス伝研究史》(1906),《パウロ研究史》(1911)などを,やつぎばやに刊行した。05年にパリ・バッハ協会を創立したが,この年の春に霊的衝撃を感じて黒人医療に一生を捧げる決意をし,医学の修業に入った。11年に結婚,12年に医学博士となり,13年には看護婦であった妻とともにフランス領赤道アフリカ(現,ガボン共和国)のランバレネに渡り,ここに熱帯病病院を建てて医療活動に入った。その後の神学著作には《使徒パウロの神秘主義》(1930)があるが,関心は文明論に移って,《文化哲学》2巻(1923),《インド思想家の世界観》(1935)などを刊行した。自伝に《水と原生林のはざまで》(1921),《わが生活と思想より》(1931)がある。なお,音楽関係の著作には,前述のバッハ伝のほか《独仏のオルガン製作と奏法》(1906)などがあり,師C.M.ビドールとの共編《バッハ・オルガン曲集》8巻(1912-67)も知られる。

 シュワイツァーの神学研究は宗教史学派の枠内にありながらも,新約聖書の終末論と神秘主義を鋭くとらえた点で功績がある。同時に第1次世界大戦を契機として生まれた文明批判があり,それはヨーロッパ固有の否定精神を克服して,世界と人生の積極的肯定に至ろうとするものであった。〈生命への畏敬Ehrfurcht vor dem Leben〉という標語は,ランバレネに行くオゴウェ川遡行のあいだにひらめいたものという。52年ノーベル平和賞を受け,その後核実験禁止を強く訴えた。日本では内村鑑三が早くから彼を知ったほか多くの人が援助し,あるいは病院での治療活動にも参加した。
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シュワイツァー
Johann Baptist von Schweitzer
生没年:1833-75

ドイツの労働運動指導者。大学教育を経て,1857年フランクフルト・アムマイン弁護士となる。同地の労働者教育協会で活動後,63年,全ドイツ労働者協会に参加,会長ラサール没後機関紙《社会=民主主義者》を創刊,編集に従事,一時,マルクスの協力も得た。67年,会長となり,北ドイツ連邦議会議員にも当選,ベーベルらのドイツ労働者協会連盟と競合,69年に創立された社会民主労働者党とも対抗して協会を率いたが,その独裁的傾向が離反を招き,71年引退した。
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百科事典マイペディア 「シュワイツァー」の意味・わかりやすい解説

シュワイツァー

アルザス生れ,ドイツ系のプロテスタント神学者,哲学者,音楽家,医者。ルター教会の牧師を父とし,シュトラスブルク大学で神学,哲学を修め,1902年同校神学部講師。《イエス伝研究史》(1906年)で,イエスの教えの終末論的性格を論じ,《パウロ研究史》を著した。21歳の時の〈人類への直接奉仕に入ろう〉という決意に従い,1905年からは医学を学んで医師の資格をとり,1913年ガボン(当時は仏領赤道アフリカ)のランバレネに病院を建設,生涯,医療と伝道に献身。初期の活動を中心とした著に《水と原生林の間で》がある。1952年ノーベル平和賞。音楽家としては,バッハ研究の標準的著作《J.S.バッハ》(1905年)があり,またオルガン演奏も行った。哲学方面では〈生命の畏敬(いけい)〉の倫理などについて論じた《文化哲学》(1923年)がある。
→関連項目人智学人文主義スミスビドールランバレネ

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世界大百科事典(旧版)内のシュワイツァーの言及

【イエス伝】より

…自由主義のイエス伝はやがて自由主義神学そのものの内から現れた研究により,二つの側面から根本的に批判された。その一つは,ワイスJohannes Weiss(1863‐1914)の《神の国についてのイエスの説教》(1892),およびワイスをより徹底させたA.シュワイツァーの〈徹底的終末論〉(《イエス伝研究史》1906)によって,イエスの〈神の国〉の説教の持つ終末論的超越性が同時代のユダヤ教黙示文学の歴史理解と終末待望の背景から明らかにされたことである。さらには,《マルコによる福音書》自体が全体として一定の神学的理念=〈メシアの秘密〉によって貫かれており,イエス伝の史的再構成のための基礎史料とはなりえないことが,ウレーデWilliam Wrede(1859‐1906)の画期的著作《福音書におけるメシアの秘密》(1901)によって明らかにされた。…

【オルガン】より

…ドイツでは全般に衰退がいちじるしく,オルガンで名人芸を披露したリスト,メンデルスゾーン以外は目だった活躍がみられない。 20世紀初頭,古楽復興の動きの中で,バロック・オルガンの再興をめざす〈ドイツ・オルガン運動〉がシュワイツァーらのよびかけで起こり,これがヨーロッパ中に波及し,この理念によるネオ・バロック・オルガンの製作が始まった。第2次世界大戦後も,このタイプのオルガンが楽器製作の主流をなすが,1970年代から,この運動のひき起こした弊害も指摘され始め,現代の科学技術を取り入れた折衷的なネオ・バロック・オルガンの根本的見直しを主張する動きもみられる。…

【キリスト教音楽】より

…しかし,それと並んで見落とすことができないのは,過去の精神的遺産への目覚めである。パレストリーナ様式への復帰を標榜するチェチリア運動,フランスのソレーム修道院を中心とするグレゴリオ聖歌の史料研究と新しい実践(ソレーム唱法),A.シュワイツァー,シュトラウベMontgomery Rufus Karl Siegfried Straube(1873‐1950),グルリットWilibald Gurlitt(1889‐1963)の3人を柱としたバッハ以前のオルガン音楽とオルガンの再評価(オルガン運動)などが,その例である。19世紀には,ベルリオーズ,メンデルスゾーン,リスト,ベルディ,ブルックナー,ブラームスらの巨匠がおり,20世紀では神秘主義的なカトリシズムの立場に立つメシアンの斬新なオルガン曲や,現代的なネオ・バロック様式によるディストラー,ペッピングなどのプロテスタント教会音楽,オラトリオの歴史に新たなページを書き加えたオネゲル,フランクらの作品がある。…

【聖書学】より

…ホルツマンHeinrich Julius Holtzmann(1832‐1910)は〈二史料説〉(マタイとルカはマルコとイエス語録Qを利用した)を完成した。ワイスJohannes Weiss(1863‐1914),A.シュワイツァーは,イエスへのユダヤ教黙示文学の影響を示し,ブセット(ブーセ)Wilhelm Bousset(1865‐1920)は新約とヘレニズム諸宗教の関係を強調した。第2次大戦後,様式史的研究は,福音書が断片的口伝を集めて作られたものであることを明らかにし,1950年代以降,編集史的研究は,福音書記者の加筆と神学思想を取り出した。…

【ランバレネ】より

…オゴウェ川の中流,河口のポール・ジャンティルから約200kmの地点にある。1913年にA.シュワイツァーがここの原住民部落から2kmほど離れた地点に病院を建設し,キリスト教の人道主義に基づく治療活動を始めてから,世界的に有名となった。65年のシュワイツァー没後も病院は存続している。…

【アイゼナハ綱領】より

…1869年8月,ドイツ労働者協会連盟のベーベルW.リープクネヒトたちと,シュワイツァーの全ドイツ労働者協会を脱退したブラッケWilhelm Bracke(1842‐80)らとがドイツのアイゼナハで開いた全ドイツ社会民主主義労働者大会において採択された綱領。それに伴い社会民主労働者党が創立された。…

※「シュワイツァー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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