改訂新版 世界大百科事典 「ショオ族」の意味・わかりやすい解説
ショオ(畲)族 (ショオぞく)
Shē zú
中国の東南沿海地区を中心に分布する少数民族。福建省寧徳地区や浙江省温州・麗水・金華地区をはじめ,江西省東部,安徽省,広東省などの山岳・丘陵地帯に分散して居住。人口約63万4700(1990)。畬,畲,(しや),畲徭,畲客,畲人,畲家などと呼ばれ,福建省では畲婆,畲古,犬頭,山韃,山客ともいう。自称は山哈,山達,山客で,〈山間に居住する客人〉という意味である。言語はシナ・チベット語族のミヤオ・ヤオ語系の一支を形成し,客家(ハツカ)方言とも近い関係にある。文字はなく漢語,漢文が一般に通用していた。ショオ族の族名は南宋末年に史書に〈畲民〉〈民〉という用例が現れたのに由来するが,これは彼らが山間に居住し刀耕火種(焼畑耕作)を生業としていたことに関係がある。族源については,エバーハルトをはじめ多くの研究者によって,その文化内容からヤオ(瑶)族の一支と考えられている。しかし,古代越人の末裔とみる立場もあり,春秋時代の越王句践や范蠡(はんれい)の子孫,山越や百越の後裔であるとする諸説も出されている。
ショオ族のあいだには,外患に窮していた皇帝を助けた槃瓠(ばんこ)という霊犬がそのほうびとして帝女をめとり,深山に移り住んで3男1女をもうけ,盤,藍,雷,鐘という4姓の祖となるというヤオ族と酷似した槃瓠伝説が伝わっている。しかし,《捜神記》系の伝承であるという点でヤオ族の犬祖神話(《後漢書》南蛮伝)と相違する。彼らの移動の歴史は,上記の槃瓠伝説のモティーフがかかれた〈畲族祖図〉や歴史伝承である〈槃瓠王歌〉〈高皇歌〉〈狗皇歌〉などに語られているが,移動の始点を広東省の潮州の鳳凰山としているものが多い点に特徴がある。彼らはすでに隋・唐のころには,閩(びん)(福建)・粤(えつ)(広東)・贛(かん)(江西)3省の隣接地帯に居住し,その後の漢族の進出に伴い明・清時代には閩東,浙南方面に移動し今日の分布状況を形成したといわれる。また,畲族には〈開山公据〉〈撫徭券牒〉と呼ばれる地方文書が伝わり,ヤオ族の〈過山榜〉という文書類とともに彼らの移動史を知る貴重な史料となっている。
畲族の分布地帯は海洋性気候の影響を受け,湿潤温暖である。古くは焼畑移動耕作を行っていたが,しだいに定着化し梯田・水田耕作を導入した。稲米,番薯(サツマイモ),大麦,小麦,油菜,豆類などをつくるほか,茶葉の栽培や林業に従事することでも知られる。村落は一般に数十戸が集まって形成され,同姓同祖によって共有される〈祠堂〉や血縁的つながりのある人々によって構成されている〈房〉という組織が社会単位となっている。また,上述の槃瓠伝説で語られた諸姓は婚姻規制と結びついている。古くは火葬が行われたが,現在では土葬が一般的である。祖先崇拝が重要視され,3年に1度大祭が行われた。祭日には漢族の影響を受けた春節,端午,中秋,重陽などのほか,3月3日,4月8日があり,10月には多見大王を祭る。民間伝承・歌謡も豊富であり,祭日には盤詩会という歌会が盛大に催される。
執筆者:長谷川 清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報