翻訳|shawl
体の上方、とくに頭や肩を覆うのに用いられる方形や長方形、三角形などの肩掛けのこと。素材はカシミヤ、毛織物、毛糸、毛皮、絹、レースなど。語源はペルシア語の同義のshāl。衣服の基本形の一つとして古くから各地でみられたが、ギリシアのヒマティオンやインドのサリーもその一例である。また、キルトのように腰に巻いて用いたものがペティコートやズボンに発展したともいわれる。
肩掛けとしてのショールは主として東洋で発展し、中近東では防寒、防暑、防塵(ぼうじん)、防虫などの目的で用いられた。メソポタミア、インド、カシミールなどでは絹、カシミヤの布地に刺しゅうや房飾りを施した美麗なものがつくられたが、とりわけカシミヤヤギ(家畜ヤギの毛用品種)の柔毛で織ったカシミヤ・ショールは、両面にペーズリー模様や縞柄(しまがら)のある高価なものであった。ヨーロッパには18世紀後半に伝わり、1800年ごろより30年ごろまで、アクセサリーと防寒用を兼ねて流行した。女性の服装はフランス革命を機にシンプルな形に移っていき、それを補うようにショールが用いられたのだが、1848~70年ごろの、いわゆるクリノリン、バッスルのスカートや袖(そで)の膨らんだ服装が盛んになるにつれ、ショールも全盛となった。形も、細長いものから方形の大判に変わり、クレープ・デシンに刺しゅうしたり、房飾りをつけたものもあった。
この間の1810~20年ごろ、イギリスではカシミヤ風の正方形のノーリッチ・ショールが、フランスではボーダー柄のフレンチ・ショールが、またクリノリン流行後の1860年には、スコットランドで両面にペーズリー模様を織り出したペーズリー・ショールが生産されている。当初、ショールは手製のうえ、上質で高価であったので上流階級の人にしか用いられなかったが、機械織りのものがつくられるようになって一般に普及した。その後、素材やデザインが豊富になり、一時は男性にも旅行時に用いられた。
日本には1877年(明治10)に、襟巻と外套(がいとう)とを兼用するものとして西洋からもたらされた。これは、1辺が70~100センチメートルの正方形で、カシミヤなどの薄手の毛織物やレース製の房付きのものを、三角形に二つ折りにしてマント風に用いた。1881年に東京で毛織りのショールや毛布が生産され始め、毛織りショールが流行すると、毛布をショールがわりに用いた角巻が流行し、地方にも伝わった。また、1884年に安価な綿ショールが生産されるようになり、一般に流行した。一方、1889年ごろには洋風排撃の影響から、1尺9寸(約58センチメートル)四方の縮緬(ちりめん)に刺しゅうを施し、縁(ふち)に撚(よ)り房をつけたものや、メリヤス編のもの、薄地の縞絹織物の長いものが流行すると、肩掛けや襟巻なしでは恥ずかしくて町を歩けないほどであった。しかし、あずまコートの流行とともに大判のショールは姿を消し、現在のような長方形のものになった。
以後、主として和装では防寒用として不可欠のものとなり、洋装ではおしゃれ用に用いられている。
[田村芳子]
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…近世になると,マフラーは男子のクラバット(ネクタイ)にもなり,フランス革命期には黒い布であごから首をすっぽりと覆い巻きつけた。この時代に,カシミア製のショールや狐など毛皮の襟巻が,当時流行していた女性の薄地モスリン製のドレスの防寒具となり,肩にかけたり,首から長く垂らしたりして用いられた。19世紀に肩掛けとしてのショールが一般化し,毛織物,レースなど,房飾のついた装飾性の強いものも用いられた。…
…また単色でも,無色から赤,黄,緑,青,紫,褐色,黒までの色をもつものが見られる。代表的なものは緑色のグリーン・トルマリンであるが,赤ないしピンクのルーベライトrubellite,濃青色のインディコライトindicolite,無色のアクロアイトachroite,黒色のショールschorlなど,それぞれ別名をもっている。熱すると電気を帯びるピロ電気性があり,和名の電気石はこの性質に由来する。…
※「ショール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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