アメリカの化学者、物理学者。4月19日ミシガン州イシュペミングに生まれる。カリフォルニア大学で化学の学位取得(1937)後、同大学講師、助教授を経て教授(1945)となる。1958~1961年同大学学長(創立以来の最年少)を務める。彼を中心とする研究グループは、1940年暮れ同大学のローレンスのところで、加速器を用いるウラン原子核の人工放射性変換によって94番元素プルトニウムを発見、1941年3月には極微量であるがプルトニウムの生産に成功した。これを契機に原子爆弾製造計画(マンハッタン計画)はプルトニウム原爆(長崎投下原爆)を中心として急速に進み、シーボーグはそのなかでプルトニウム生産を担当推進した。1944年95番元素アメリシウムと96番元素キュリウムを発見、1946年放射性核種崩壊系列の一つのアクチニウム系の提唱・命名、1949年97番元素バークリウムと1950年98番元素カリホルニウムを発見し、1951年これらの超ウラン元素の発見に対してE・M・マクミランとともにノーベル化学賞を受ける。1953年アメリカのビキニ環礁水爆実験によって生じた放射性サンゴの砕片から99番元素アインスタイニウムと100番元素フェルミウムを発見、さらに1950年代後半に101番元素メンデレビウムと102番元素ノーベリウムを発見。そして、1961年の103番元素ローレンシウムの発見も加え、シーボーグとそのグループは今日認められている超ウラン元素の大半を発見した。アメリカ原子力委員長をはじめ大統領科学諮問委員などを歴任した。
[大友詔雄 2018年8月21日]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アメリカの化学者.1937年カリフォルニア大学バークレー校で学位を取得し,そのまま同校に就職,のちに教授となる.1940年のネプツニウム発見を受け,E.M. MacMillan(マクミラン)より,94番元素探求を引き継いだ.共同研究者らと,酸化ウランに重陽子を照射したところ,α放射体の生成を確認,化学的処理を経て,その同定に成功した.これが94番元素プルトニウムである(1941年).こうした業績に対し,1951年MacMillanとともにノーベル化学賞を受賞.プロトニウム発見後も,新しい102番までの超ウラン元素を次々と発見していくが,それに先立ち,アクチニウム以降の元素が,第二の希土類アクチノイドとして存在するという説を提唱した(1944年).戦時中は,プルトニウムの核分裂を確認し,原爆開発のため,その大量分離法開発の指導にあたり,戦後は,アメリカ原子力委員長(1961~1971年)をはじめとして,歴代の大統領に近い多くの顕職を務めた.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加