ジシュカ(英語表記)Žižka, Jan z Trocnova

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジシュカ
Žižka, Jan z Trocnova

[生]1376頃
[没]1424.10.11. ボヘミア,プシビスラフ
ボヘミアフス派指導者,軍人。独眼の特異な風貌で知られる。小貴族の出身で,1410年タンネンベルクの戦いに参加した頃からヤン・フスの熱狂的支持者となり,フス火刑 (1415) 後,「至福千年説」を信奉する下層階級出身の急進主義者とともにボヘミア南部に共同体的要塞都市ターボルを構築。フス派内にターボル派を形成,指導した。また農民主体の規律ある軍隊を編成し,大砲を備えた装甲車など数々の新兵器を開発。さらに歩兵騎兵砲兵を一体とするまったく新しい戦術を採用するなど軍事技術の革新に努めた。その軍事力の高さはフス戦争でも発揮され,1420年7月神聖ローマ皇帝ジギスムントの十字軍をプラハ近郊ビトコフで撃破。 1421年フス派の貴族が結成したチャースラフの臨時政府の一員となりジギスムントのボヘミア王廃位を宣言,1422年1月再度ジギスムント軍を撃破した。内部穏健派のウトラキスト (両形色論者 ) 派を抑え,フス派連合軍のモラビア進撃を指導中,黒死病で病没。

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世界大百科事典 第2版の解説

ジシュカ【Jan Žižka】

1370ころ‐1424
南ボヘミアの小貴族で,〈盲目のジシュカ〉として知られる。フス派軍指導者で政治家。フス派の軍を率いて1420年プラハ近郊のビトコフVitkovで神聖ローマ皇帝軍を破り,勇名を馳せ,フス派内部の急進的なタボル派の第一首領に選ばれ穏健派を屈服させる。軍事技術に巧みで,なかでも荷馬車を利用した可動式バリケードや軽砲を駆使して戦勝を重ねる。22年にはボヘミア東部のドイツ・ブロート(現,ハブリーチュクーブ・ブロート)付近で皇帝軍に壊滅的打撃を与えた。

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世界大百科事典内のジシュカの言及

【フス派戦争】より

…ハプスブルク家の皇帝ジギスムントが跡を継ぐが,フスの焚刑を彼の責任とするフス派は,彼の即位を認めなかった。そのためジギスムントは教皇マルティヌス5世の勅書を受けて,フス派討伐の十字軍をボヘミアに差し向けたが,軍事指導者ジシュカに率いられたフス派軍はプラハ郊外のビトコフVitkovの丘で十字軍を粉砕した(1420年7月)。 フス派には,大別して南ボヘミアの城砦都市タボルを拠点として終末論的信仰をもち,農民,職人,下層騎士から成る急進的なタボル派と,平信徒も聖杯をもつことを主張した,プラハの都市貴族,大学を中心としたいわゆるウトラキスト派Utrakvistéまたはカリックス派Kališníceと呼ばれる穏健な改良主義者の2派があった。…

※「ジシュカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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