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ジフコフ Zhivkov, Todor Khristov

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジフコフ
Zhivkov, Todor Khristov

[生]1911.9.7. ブルガリア,ソフィア郊外プラベツ
[没]1998.8.5. ブルガリア,ソフィア
ブルガリアの政治家。 1929年にソフィアの国営印刷工場の見習いとなり,共産主義青年同盟で活動を開始。 32年共産党に入り,2年後に党地区委員会書記に就任。第2次世界大戦にはソフィア近郊でパルチザン部隊の結成に従事,44年9月の祖国戦線クーデターに重要な軍事的役割を演じた。 45年党中央委員候補,48年中央委員となり,ソフィア市党第一書記として「チトー主義者」攻撃を進め,51年党政治局員に昇進。 I.スターリンの死後党と政府の機能分離が行われた結果,54年に V.チェルベンコフから党第一書記の地位を受継ぎ,N.フルシチョフの忠実な信奉者として,やがてはチェルベンコフ批判を展開した。 62~71年首相。フルシチョフ解任半年後の 65年に発生した党内危機を乗切り,バルカンではただ一国ソ連との全面協力路線を固めた。 71年国家評議会議長 (元首) 。 81年党書記長,89年議長および書記長を辞任,党を除名される。 90年書記長時代のトルコ系少数民族への差別,職権乱用,国家資産流用などの罪で逮捕,起訴され,92年懲役刑を受けたが,上訴し 96年無罪となった。

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百科事典マイペディアの解説

ジフコフ

ブルガリアの政治家。ソフィア県の貧農の家庭に生れる。1932年にブルガリア共産党に入党,1954年には党第一書記(1981年に党書記長と改称)となる。1962年から1971年までブルガリアの首相を兼任し,1971年には国家評議会議長(元首)に就任した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジフコフ
じふこふ
Todor Zhivkov
(1911―1998)

ブルガリアの政治家。ソフィア近郊の農村出身。印刷工となり、1932年に共産党に加入、1939年に党専従となる。第二次世界大戦中ソフィア地区パルチザン旅団長になり、1944年の反枢軸クーデターを実行した。1948年ソフィア市党第一書記に就任。1949年「パルチザン派」のコストフがチトー主義者として処刑され、1950年に「モスクワ帰り」のチェルベンコフが権力を握ったが、ジフコフは彼に買われて同年党書記、1951年に政治局員に昇進した。1953年チェルベンコフは首相に専念し、党第一書記(1981年から書記長と改称)をジフコフに譲った。1956年スターリン批判がなされると、自国でもチェルベンコフ批判を行って自己の権力を固めた。1971年に国家評議会議長(元首)に就任し、独裁体制を固め、旧ソ連に忠実な路線を取り続けた。1989年11月民主化により書記長と国家評議会議長を退任した。[木戸 蓊]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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