フランスの労働運動指導者。パリに生まれる。父と同じマッチ製造工として早くから労働運動に身を投じた。革命的サンジカリストとして出発した彼は、労働総同盟(CGT)で活動し1909年から1947年まで実に38年間その書記長を務めた。その間、第一次世界大戦に際して政府協力政策を採用して以来、改良主義と政党からの組合の独立との2点で一貫した立場をとったため、これに不満な少数派は1921年統一労働総同盟(CGTU)を結成した。人民戦線運動の進展の下に1936年CGTとCGTUは統一を回復し、ジュオーはブルム内閣に入閣こそしなかったが、黒幕的存在であった。第二次世界大戦後の1947年にCGTの共産主義的傾向に反対して「労働総同盟・労働者の力(FO。CGT‐FOともいう)」を結成し、書記長となった。1949年、国際自由労連の創設者の一人となり、1951年、ノーベル平和賞を受賞した。
[平瀬徹也]
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…これは経営者側の結束強化に対抗すると同時に,増大する非熟練労働者の組織化を促進するための措置であったが,この再編は一面,サンディカリスムの基礎であった熟練工の小規模組合を消滅に向かわせるとともに,金属,土木建築,運輸などの大組織を出現させ,炭鉱,公務員などの総同盟加盟ともあいまって,かつて拒否した行政当局との交渉,政党との接触をしだいに不可避なものとし,総じて総同盟内部における革命派の地位を低下させることとなった。1901年以来総同盟書記長の座にあった革命派の総帥V.グリフュールは08年に引退し,09年以後その路線を引き継いだ書記長L.ジュオーはやがて14年,第1次世界大戦勃発に際して戦争遂行への協力を明確にして,サンディカリスムの衰退を促した。 大戦後,旧革命派は国家への協力を代償に労働条件の改善を図るジュオーら多数派,共産党との結合により革命を追求するモンムッソーG.Monmousseau,革命を志向しつつも政党への従属を拒否するP.モナトなどの諸傾向に分散し,おのおのが別個の中央組織を結成するにいたった。…
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