スコータイ(英語表記)Sukhothai

デジタル大辞泉 「スコータイ」の意味・読み・例文・類語

スコータイ(Sukhothai)

タイ中北部の都市。スコータイ県の県都チャオプラヤー川支流ヨム川沿いに位置する。13世紀半ばにタイ族初のスコータイ朝が開かれ、14世紀半ばまで王都となった。第3代王ラームカムヘーンの時代に盛期を迎え、多くの仏教寺院がつくられた。市街西郊のスコータイ歴史公園には、城壁に囲まれた宮殿や寺院群の遺跡があり、近隣の歴史公園とともに、1981年に世界遺産(文化遺産)に登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「スコータイ」の意味・わかりやすい解説

スコータイ
Sukhothai

タイ中部の古都で,同名県の県都。都市域人口11万6026(2002)。メナム(チャオプラヤー)川の支流であるヨム川に沿っている。西方山地であるが,東方にはヨム川の氾濫原がひろがり,稲作に適している。タバコ綿花トウモロコシなど畑作も盛んである。13世紀までカンボジアのアンコール朝の支配下にあったが,その後,タイ族がこの地を王都としてスコータイ朝を開いた。現在のスコータイ市の西方には,13~14世紀の仏教寺院,宮殿跡を含む広大な都城の遺跡がひろがっている。スコータイ朝はタイ族最初の王国であるとともに,セイロンから渡来した上座部仏教を受容し,仏教美術・文学が繁栄したことで知られる。1292年にラーマカムヘン王が建立した石碑の刻文は,タイ語で書かれた最古の文であり,今日のタイ文字の基礎となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スコータイ」の意味・わかりやすい解説

スコータイ
Sukhothai

タイ北西部,スコータイ県の県都。バンコク北方 370km,ヨム川東岸に位置する。タイ族最初の独立王国として,勢力と独自の文明を誇ったスコータイ朝の首都であったが,アユタヤ朝の成立によって衰えた。 1786年ラーマ2世によって旧都の東方 12kmに現在の町が建設されたが,地方的な商業中心地にとどまる。部派仏教の隆盛を伝える寺院などの遺跡が残り,1991年付近のサワンカローク,シーサチャナーライなどの遺跡群とともに,世界遺産の文化遺産に登録。周辺地域ではイネのほかトウモロコシ,ワタ,豆などの栽培が盛ん。人口2万 3074 (1985推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スコータイ」の意味・わかりやすい解説

スコータイ
すこーたい
Sukhōthai

タイ中北部、スコータイ県の県都。チャオプラヤー川の四大支流の一つヨムYom川に沿う。人口3万5713、同名の県の人口は59万3264(2000)。13世紀なかばにクメールの支配を破りタイの独立国家スコータイ朝がこの地で成立、14世紀なかばにアユタヤ朝に征服されるまで、その王都であった。現在も宮殿、寺院などの遺跡が散在し、博物館もあり、タイ国家発祥の地として多くの観光客が訪れる。1991年に周辺の古都とともに世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[友杉 孝]

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百科事典マイペディア 「スコータイ」の意味・わかりやすい解説

スコータイ

タイ中部,ヨム川に臨む古都。13―14世紀スコータイ朝の首都として栄え,当時の遺跡(史跡公園に指定されている)が多く残る。また13―16世紀,スワンカロークとともにタイの製陶の中心地でもあった。周辺の古都とともに1991年世界文化遺産に登録。米,タバコ,綿花,大理石の集散地。10万7815人(2006)。

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世界大百科事典(旧版)内のスコータイの言及

【タイ陶磁器】より

…タイの陶磁器の歴史は13世紀のスコータイ王朝の成立を期に,その前時代とスコータイ王朝以降に分けることができる。最古の土器はベンガラで渦文や螺旋文をめぐらしたバンチェン土器(バンチェン)といわれ,前3000年ころとも紀元前後ともいわれている。…

※「スコータイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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