部派仏教(読み)ぶはぶっきょう

精選版 日本国語大辞典 「部派仏教」の意味・読み・例文・類語

ぶは‐ぶっきょう ‥ブッケウ【部派仏教】

〘名〙 釈迦入滅後一〇〇年頃から約三〇〇年間に分立した諸派仏教アショカ王の時代に教団が保守的な上座部と進歩的な大衆部分裂し、一説には、その後上座部系が一一部、大衆部系が九部の二〇部となったという。後に起こった大乗仏教からは小乗仏教と呼ばれ批判された。

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デジタル大辞泉 「部派仏教」の意味・読み・例文・類語

ぶは‐ぶっきょう〔‐ブツケウ〕【部派仏教】

釈迦しゃか入滅後100年ごろから約300年の間に分立した諸派の仏教。アショカ王の時代に、教団が保守的な上座部と進歩的な大衆部とに分裂し、以後、上座部が11部、大衆部が9部の20部となった。のちにおこった大乗仏教からは小乗仏教と貶称へんしょうされた。→小乗

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「部派仏教」の意味・わかりやすい解説

部派仏教
ぶはぶっきょう

仏教の創始者釈尊の滅後100年または200年後のアショカ王のころから仏教教団は18から20の部派に分裂し、各部派は釈尊の残した教法を研究整理して独自の教義(論、アビダルマAbhidharma)をつくり、互いに煩瑣(はんさ)な論争に従事した。この時代の仏教を部派仏教またはアビダルマ仏教という。またのちにおこった大乗仏教からはその高踏的独善性を批判され、小乗仏教とも貶称(へんしょう)された。諸部派のうち大衆(だいしゅ)部、上座(じょうざ)部、化地(けじ)部、犢子(とくし)部、説一切有部(せついっさいうぶ)(有部とも略称)、経量(きょうりょう)部などがとくに重要である。現存のアビダルマ文献は主としてセイロン上座部と有部に所属するものが多い。

 部派仏教の論師たちは原始仏教以来の三法印(さんぼういん)「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の意味をより精密に理解せんと努め、釈尊の忠実な継承者を志したということができる。すなわち「諸行無常」については無常の構造をより正確に説明せんとした。とくに有部は「三世実有説」を主張し、現象世界を構成する七十数個の法(ダルマ)が過去・現在・未来の三世に自己同一を保って実在し、ただ現在の一瞬のみ作用をおこしてわれわれに知られるのだとした。また「諸法無我」に関しては輪廻(りんね)や行為の主体を考究し、大衆部は根本識(こんぽんしき)、化地部は窮生死蘊(うん)、犢子部は非即非離蘊我、正量部は不失壊、経量部は種子(しゅうじ)の各存在を主張し、無我説との矛盾を解決しようとした。また輪廻の原因である煩悩(ぼんのう)や業(ごう)についても深い考察を行った。さらに「涅槃寂静」については、涅槃(悟り)の意味や涅槃へ至る修行過程などを細かく規定した。

 西暦紀元前後に興起した大乗仏教は、この煩瑣な体系に対し釈尊の真の精神を取り落としているとして反論し、一切皆空(いっさいかいくう)の思想と慈悲の精神に基づいて人々の救済を叫んだ。しかし碑文などの研究による限り、部派仏教は大乗仏教成立後も数世紀にわたってインドで大きな勢力を有していたらしい。部派仏教の研究は原始仏教、大乗仏教の教理・歴史を解明するうえでもきわめて重要である。

[加藤純章]

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改訂新版 世界大百科事典 「部派仏教」の意味・わかりやすい解説

部派仏教 (ぶはぶっきょう)

釈迦および直弟子時代の初期仏教を継承し,大乗仏教と併存・拮抗(きつこう)してインドに栄えた伝統的学派による仏教。新興の大乗仏教側からは,〈小乗仏教〉とけなされたが,正しくは〈部派仏教〉あるいは〈アビダルマ仏教〉と呼ばれるべきである。釈迦滅後100年,すなわちアショーカ王(前3世紀)のころ,仏教教団は保守的な上座部(テーラバーダ)と進歩的な大衆(だいしゆ)部(マハーサンギカ)とに分裂した。これは戒律や教理の解釈上の意見の対立によって分裂したもので,これを〈根本分裂〉と呼ぶ。以後,分派に分派を重ねて,上座部系11部派と大衆部系9部派の,いわゆる〈小乗20部〉が成立した。この20部派およびこれらの部派に所属する経・律・論に説かれた教説が〈部派仏教〉と定義される。代表的な部派としては,西北インドに栄えた説一切有(せついつさいう)部,中西インドの正量(しようりよう)部,西南インドの上座部(以上,上座部系),南方インドの大衆部などが挙げられる。大乗仏教から特に攻撃対象とされたのは説一切有部であり,後に大乗に転向した無著(むぢやく),世親の兄弟は,初めこの部派に属していた。スリランカに伝えられた上座部は,特に〈南方上座部〉と呼ばれ,ビルマ(現,ミャンマー),タイ,カンボジアなどの東南アジア諸国に伝播し今日にいたっている。また,やはり上座部系の法蔵部の教理は,大乗仏教のそれと多く一致するところが近年学界で注目され,大乗仏教成立の起源に,法蔵部の比丘(びく)たちの協力があったであろうといわれている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「部派仏教」の意味・わかりやすい解説

部派仏教
ぶはぶっきょう

根本仏教から分裂した諸派の仏教。前2世紀から1世紀頃までに成立。釈尊の入滅から 100年ほどたった頃にそれまで一つにまとまっていた原始教団が,戒律の実践と釈尊の人間性を重視する上座部と,絶対者としての釈尊への信仰を重んじる大衆部に分裂,さらに大衆部から8部派,上座部から 10部派が分れた。これを 18部分裂と呼び,全部で 20部となった。大衆部系では大衆部のほか,多聞部や説出世部が栄えたが,全体としては上座部系のほうが勢力があり,特に北インドでは上座部系の説一切有部が栄え,部派仏教のなかで最も有力であったが,4世紀頃からは正量部が栄えた。現在スリランカをはじめ南方に伝わる3仏教は上座部系である。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「部派仏教」の解説

部派仏教(ぶはぶっきょう)

上座(じょうざ)仏教

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世界大百科事典(旧版)内の部派仏教の言及

【上座部】より

…仏滅100年ごろ仏教教団は上座部と大衆部(だいしゆぶ)の二つに分裂した。これは根本分裂と呼ばれ,部派仏教の時代の幕開けとなった。サンスクリットでスタビラ・バーダSthavira‐vāda,パーリ語でテーラ・バーダThera‐vādaという。…

【小乗仏教】より

…サンスクリットでヒーナヤーナHīnayāna(〈小さな乗物〉の意)というが,〈小乗〉とは大乗仏教からの貶称であり公平な呼称ではない。部派仏教ともアビダルマ仏教ともいわれる。小乗仏教の思想は釈迦とその直弟子たちの初期仏教と,後の大乗仏教を理解する上にも重要である。…

【大衆部】より

…仏教部派の一つ。大乗仏教側からは〈小乗仏教〉と貶称された部派仏教のうちの有力な一派であった。サンスクリットで,マハーサンギカMahāsaṅghikaといい,また,パーリ典籍の《ウパーサカジャナーランカーラ》には,マハーサンギヤMahāsaṅghiyaという名称で呼ばれている。…

※「部派仏教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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