イタリアの航海者。フィレンツェ生れ。1499年アロンソ・デ・オヘダの遠征に参加してインディアスへ向かい,現ベネズエラの海岸沿いを探検航海。のち1501-02年と03-04年,ポルトガル国王マヌエルの要請で東インドへの航路の発見などを目的としてブラジル沿岸へ航海。ベスプッチはこのとき目撃した土地がアジアではないと確信し,数通の書簡の中で〈新世界Mundus Novus〉という言葉を用いて新大陸であることを記した。これらの書簡は1503年に公刊されると,たちまちにして多数の読者を獲得し,各国語に翻訳された。読者の一人,ドイツの地理学者マルティン・ワルトゼーミュラーはベスプッチの新大陸説を支持し,新大陸を航海者の名にちなんでアメリカと命名した。08年,スペイン国王より首席水先案内官に任命され,彼の指導下,セビリャの通商院付属の航海学校,水路学研究所は著しい発展を遂げた。彼の記録にはあいまいな点が多く,ラス・カサス以来しばしば論議を引き起こしてきた。
執筆者:染田 秀藤
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イタリア人航海者。アメリカという地名は、彼の名アメリゴにちなむものとされる。フィレンツェに生まれる。1491年、メディチ銀行セビーリャ支店に派遣された。この地で大航海への刺激を受けたと思われる。かつて、1497~1504年の間に4回の航海をしたと信じられていたが、1499~1500年、1501~02年の2回が事実のようである。1回目の航海でヨーロッパ人として初めてブラジルに達しているが、重要なのはポルトガル王の援助で行った二度目の航海である。南米大陸をほとんどマゼラン海峡近くまで南下した彼は、これがアジアではなく、新しい大陸との確信を得、その後、小冊子『新大陸』(1504)と『A・ベスプッチの書簡』(1505ころ)を刊行し、新大陸説を唱えた。地誌学者のワルトゼーミュラーはこれに注目して、1507年に作製した地図で、この大陸を分離して記すとともに、新大陸を「アメリカ」と名づけることを提唱した。
[在里寛司]
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…南・北アメリカ大陸と西インド諸島の総称。アメリカという名称は,中部および南アメリカを探検したイタリアの航海・探検家アメリゴ・ベスプッチの名にちなむといわれ,1507年に発行されたワルトゼーミュラーMartin Waldseemüllerの《世界誌入門》に用いられたのが最初である。当初はコロンブスの発見した地域(西インド諸島と南アメリカ大陸)を指すことばであったが,のちに西半球の大陸全体を意味するようになった。…
…15世紀から16世紀にかけてヨーロッパ人(とくにスペイン人)が発見した現在の南北アメリカ,カリブ海諸島の呼称。この言葉は1502年から04年ころにパリで発行されたとされるアメリゴ・ベスプッチの書簡体の小冊子《新世界Mundus novus》で初めて用いられた。1499年から1504年にいたるまで,イタリア人ベスプッチはスペイン国王,のちにはポルトガル国王に仕えて,現在の中央アメリカからブラジル,アルゼンチンに達する海岸線を調査し,コロンブスらが発見した土地がヨーロッパとアジアの中間に位置する新大陸,すなわち新世界であることを認めた。…
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