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セルリオ セルリオ Serlio, Sebastiano

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

セルリオ
セルリオ
Serlio, Sebastiano

[生]1475.9.6. ボローニャ
[没]1554. フォンテンブロー
イタリアの建築家,建築理論家,画家。 1514年からローマに出て,B.ペルッツィに建築を学び,27年ローマ劫略とともにベネチアへ移住。 37年以来7巻に及ぶ『建築論』を刊行。独・英・仏・オランダ語に翻訳され,大きな影響を与えた。

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百科事典マイペディアの解説

セルリオ

イタリア後期ルネサンスの建築家,建築理論家。ボローニャ生れ。ローマでペルッツィの弟子となり,建築家としてフランスにも招かれて活躍したが,最大の功績は《建築書》8巻(1537年)によって,古代建築の精神を生かした建築理論を展開したことにある。

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世界大百科事典 第2版の解説

セルリオ【Sebastiano Serlio】

1475‐1554
ルネサンス後期のイタリア人建築家。全8巻(7書および別冊,うち第6書は未完)の《建築書Tutte l’opere d’architettura》の著者。ボローニャに生まれ,ローマに出て年下のB.ペルッツィに古代建築を学んだのち,ベネチアに移り住んだ。1541年,フランス王フランソア1世の招きで宮廷建築家として渡仏,王の没後はフォンテンブローの城館を離れてリヨンに住んだ。幾何学と透視図法(1,2書),古代建築,オーダー宗教建築(3~5書),住宅建築と建築の実際的問題(6,7書),扉口のデザイン(別冊)を論じる《建築書》は,ボローニャ,ローマ,ベネチア各地の建築造形と古典様式の混交から創出された斬新な作例に富み,マニエリスム建築の造形的基礎を提供するとともに,パラディオジュリオ・ロマーノおよびフランス・ルネサンスの建築家に多大の影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

セルリオ
せるりお
Sebastiano Serlio
(1475―1554ころ)

イタリアの建築家、理論家。ボローニャに生まれる。初め画家として出発するが、1515年ローマに移りペルッツィに建築を学ぶ。1527年神聖ローマ皇帝による教皇領への侵攻であるローマ略奪Sacco di Roma(ローマ劫掠(ごうりゃく)ともいう)により、師とともにベネチアに赴く。その主著『建築論』は7書からなり、各書の出版は1537年の第4書に始まり、1541年フランソア1世(在位1515~1547)の招きでフランスに赴いたのちも継続され、フォンテンブローで彼が没したのち、1575年に公刊された第7書に至るまで長期にわたった。この書が版を重ねて各国語に訳出され、ヨーロッパ各地に普及したのは、図版中心のきわめて実用的な手引書であったことによる。現存する数少ない建築作品の一つとしてブルゴーニュのアンシー・ル・フランの居館があげられる。[三好 徹]

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世界大百科事典内のセルリオの言及

【オーダー】より

…アルベルティの《建築論》(1483)ではまだオーダーの名称はなく,またトスカナ式をドリス式と同一視して円柱を4種としているが,比例はより厳密に,ピタゴラス的な調和平均の比例体系によって,建物全体にゆきわたるものとして定められていた。オーダーの語を初めて円柱形式と結びつけ,〈五つのオーダー〉としたのは,セルリオの《建築の一般規準》(第4巻,1537)であったと見られる。これがさらにビニョーラにより洗練を加えられ,パラディオの《建築四書》(1570)にいたって実用的な原理として定着した。…

【オテル】より

…15世紀以降,特に17~18世紀に貴族の邸宅としてパリに多くつくられた。セルリオがフォンテンブローに建てたフェラーラの枢機卿のための館(1546)がその原型となった。オテルの基本型はコの字形平面で,中庭をもつ母屋(コール・ド・ロジcorps‐de‐logis)を建て,街路に面して門を開き,中庭の左右を翼廊もしくは塀で囲う。…

【住居】より

…イギリスのスミッソンRobert Smythson(1535ころ‐1614)は,ホールを中心とする中世的な大邸宅に左右対称の壁面構成を与える試みを,ロングリート・ハウス(1568‐75ころ)等のカントリー・ハウスの設計を通じて行った。またイタリアのセルリオはフランスに赴いてフォンテンブローのグラン・フェラール(1544‐46)等の都市邸宅を設計し,オテルと呼ばれるフランスの都市住宅の原型をつくり上げた。オテルは街路から門を入ると中庭があり,その正面に邸館を据え,背後に庭園をもつもので,建物の左右対称の軸線が中庭側と庭園側でずれるのを,巧みにカムフラージュしている。…

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