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セーチェニ セーチェニSzéchenyi István

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

セーチェニ
Széchenyi István

[生]1791.9.21. ウィーン
[没]1860.4.8. ウィーン近郊デーブリンク
ハンガリーの政治家。大貴族の出身。反ナポレオン戦争に参加。その後フランス,イギリスを旅行してハンガリーの後進性を痛感。西ヨーロッパ文明の導入によるハンガリーの近代化を主張。私財を投じて「ハンガリー科学アカデミー」を創設し (1825) ,マジャール語の改革に貢献。またドナウ川航路の改良事業を行い,蒸気船を導入した (30) 。多くのパンフレットを著わして経済近代化を説き,大貴族の浪費癖を批判。しかしハプスブルク家への忠誠と漸進的改革に固執したため,1840年代には青年層の支持を失い,コシュートと対立した。 1848年革命に際してはバチャーニュ内閣に入閣したが,オーストリアの干渉が開始されると発狂し,ウィーン近郊の病院に収容された。 59年オーストリアの専制政治を批判する文書を発表し,治安妨害容疑に問われて,翌年4月自殺。

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世界大百科事典 第2版の解説

セーチェニ【Széchenyi István】

1791‐1860
ハンガリーの政治家。大土地所有貴族の出。開明的なセーチェニ・フェレンツSzéchenyi Ferencの息子。ナポレオン戦争に出征したあと1815年から25年にかけてイギリス,フランス,イタリアなどを訪れ,とくにイギリスの政治に強く引かれた。25年に政界入りし,産業と文化の発展に基づく穏健な社会改革をめざし,30年代の〈改革時代〉を指導。著書《信用》(1830),《光》(1831),《状況》(1833)で,支配階級の自主的な社会改革(信用取引の近代化,貴族特権の放棄,農奴解放,検閲の廃止)を求めるとともに,近代産業の育成に尽力した。

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