ゼロ戦(読み)ゼロセン

デジタル大辞泉 「ゼロ戦」の意味・読み・例文・類語

ゼロ‐せん【ゼロ戦】

零式艦上戦闘機れいしきかんじょうせんとうき通称

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共同通信ニュース用語解説 「ゼロ戦」の解説

ゼロ戦

日本海軍の依頼を受けて三菱重工業開発終戦までに約1万機が製造された。皇紀2600年(西暦1940年)に採用されたことから、年号末尾をとって「零式艦上戦闘機」と命名された。開発時期により22型や52型などがある。22型は長さ約9メートル、幅約12メートルで、最高速度は約540キロ。登場した当初航続距離や運動性能で他国戦闘機を圧倒した。太平洋戦争末期には特攻にも使われた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ゼロ戦」の意味・わかりやすい解説

ゼロ戦 (ゼロせん)

正式には零式(れいしき)艦上戦闘機といい零戦(れいせん)とも略称される。旧日本海軍が,日中戦争から太平洋戦争全期にわたって使用した艦上戦闘機。1937年から三菱重工業が堀越二郎設計主任として開発を行い,39年初飛行,以後海軍により試験・改良が行われ,40年(皇紀2600年)制式採用となった。皇紀の末尾数字を取って零式といわれるが,アメリカが“ゼロ・ファイター”と呼んだため,ゼロ戦の呼名が戦後普通になった。旧日本軍機のなかでは最大の1万0430機が生産された。いくつかの型があるが,大戦初期に使用された二一型で,全幅12.0m,全長8.79mで,940馬力の空冷エンジンから最大速度509km/h(高度5000m)を引き出した。徹底した重量軽減と抵抗減少により,小型ながら当時の世界の水準をこえた性能を有し,特に運動性能と航続性能に優れていた。40年,中国空軍機(ソ連製)との戦闘を初めとし,太平洋戦争中期まで圧倒的優勢を誇ったが,以後アメリカがP38,F6Fなどの大馬力で,速度および上昇性能に優れた戦闘機を多数前線に投入しはじめると,形勢は逆転した。最後は爆弾を装備し特攻機としても使用された。日本はゼロ戦の後継機の開発・量産が遅れ,航空劣勢を挽回(ばんかい)できないまま終戦をむかえた。なおゼロ戦は国内では国立科学博物館,航空自衛隊浜松南基地資料館(現,航空自衛隊浜松広報館),京都嵐山美術館(91年閉館。現在は呉市海事歴史科学館で展示)に展示されている。
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百科事典マイペディア 「ゼロ戦」の意味・わかりやすい解説

ゼロ戦【ゼロせん】

旧日本海軍の零式艦上戦闘機(1940年制式)の通称。零(れい)戦とも。太平洋戦争初期には世界最高水準の戦闘機で,特に格闘性能にすぐれ,連合国空軍を畏怖(いふ)させた。設計は堀越二郎を主任とする三菱重工業。1938年に試作され,改良を重ねつつ三菱と中島飛行機の2社により日本の航空機中最多の1万425機を生産。52型で1130馬力,最高時速565km。
→関連項目戦闘機中島飛行機[株]

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