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タキトゥス Publius Cornelius Tacitus

百科事典マイペディアの解説

タキトゥス

ローマ帝政期の歴史家。政治家としても諸官職を歴任。主著は《ゲルマニア》および共和政期に対するあこがれをこめた簡潔な文体で帝政初期の暗い時代を批判した《歴史》,《年代記》。
→関連項目サルスティウス従士制度ドルイド教

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世界大百科事典 第2版の解説

タキトゥス【Marcus Claudius Tacitus】

?‐276
ローマ皇帝。在位275‐276年。長老の元老院議員であったが,アウレリアヌス帝の後任として元老院により皇帝に選ばれた。小アジアに侵入したゴート族を破ったが,そこで軍隊の反乱が起こり殺された。元老院に好意を示しはしたが,その権威を実際に回復したり軍隊の指揮権を元老院に戻したりはしなかった。【市川 雅俊】

タキトゥス【Publius Cornelius Tacitus】

55か56ころ‐113以後
ローマの歴史家,政治家。第1名のPubliusはGaiusとする写本も多い。北イタリアまたは南ガリアの出身。ウェスパシアヌス,ティトゥス,ドミティアヌス,ネルウァ,トラヤヌスの5代の皇帝のもとで元老院議員として務め,97年コンスル。112‐113年ごろアシア州総督。トラヤヌスの即位とともに文筆活動に入る。最初の作品《アグリコラ》(98)は妻の父G.J.アグリコラの賞賛的伝記で,ブリタニア総督としての義父の功績と諸種族の平定を頂点に,ブリタニアの民族誌をも挿入し,全体としてはドミティアヌス帝に忠誠であったアグリコラをドミティアヌスの犠牲者でもあるとして弁護しようとする。

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大辞林 第三版の解説

タキトゥス【Cornelius Tacitus】

55頃~115頃) ローマ帝政時代の歴史家。代表作「ゲルマニア」のほか「歴史」「年代記」など。タキツス。 → ゲルマニア

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

タキトゥス
たきとぅす
Publius Cornelius Tacitus
(55/56―?)

ローマ帝政期の政治家、歴史家。属州のベルギカ(現ベルギー)に生まれたが、幼年期をローマに過ごし、学芸の修得に努めた。ウェスパシアヌス帝の治下で軍団付高級将校となり、公人としての第一歩を記した。77年結婚。81年ごろ財務官に選ばれ、同時に元老院議員となる。護民官を経て88年法務官となり、97年コンスル(統領)に選ばれた。112~113年属州アシア総督として小アジアに赴く。没年は正確にはわからない。
 彼は、政治家として位階を上り詰めるかたわら多くの著作を書いた。共和政末期に弁論術が衰退した原因を述べた『対話』については、彼の筆になるものか否か論争がある。続いて93年に没した岳父の伝記『アグリコラ』を98年に著す。この書物は、属州ブリタニア(現イギリス)の民族、風土、習俗について多くの情報を現代に伝えている。同年ゲルマン人の習俗を紹介した『ゲルマニア』を出版。ここでは蛮族とさげすまれている民族のなかに質実剛健で高潔な精神が息づいていることを明らかにし、退廃の極みにあった同時代のローマ人に警鐘を鳴らしている。ついで2世紀初めに大作『同時代史』を著す。ネロ帝の自殺(68)後から五賢帝時代の始まりまでの28年間を扱ったこの作品はごく一部が伝わるにすぎないが、帝位をめぐる醜い争いを余すところなく描き、支配者の悪徳を暴露している。最後の史書『年代記』は、ティベリウス帝からネロ帝までの50年余の事件を綴(つづ)っている。著述にあたり、元老院議事録、各種の告示などを刻んだ碑文のほか、彼以前の歴史書を参照している。用いた史料間の矛盾に言及することは少ないが、ある程度史料の吟味もなされ、それなりに批判的に摂取している。
 彼の理想は共和政期の「自由な」国制であって、元首政とは相いれない。唯一人に権力が集中する元首政下では、支配者は慢心し、被支配者はへつらいと隷従に堕してしまい、もっともウィルトゥス(徳、勇気)を示さなければならぬ元老院議員ですら元首におもねるばかりの嘆かわしい状態となる、と説く。彼は軟弱に堕していくローマをとらえ、これとの対比のうえで純粋・素朴の気風を保っている周辺諸部族を眺めており、その筆はしばしば辛辣(しんらつ)な風刺や皮肉に満ちている。第一級の歴史家であったが、その史書は広く読み継がれたとはいいがたく、『年代記』の1~6巻まではただ1種類の写本しか伝わっていない。[田村 孝]
『国原吉之助訳『年代記』全2冊(岩波文庫) ▽泉井久之助訳註『ゲルマーニア』(岩波文庫) ▽国原吉之助訳『世界古典文学全集22 タキトゥス』(1983・筑摩書房)』

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世界大百科事典内のタキトゥスの言及

【ローマ】より

…各都市に学校や図書館が設置され,ラテン文学は〈白銀時代〉を謳歌した。マルティアリス,ユウェナリス,タキトゥス,スエトニウス,クインティリアヌスらの作品は今も残っている。このほかキリスト教護教文学という新しいジャンルも現れ,法律学も盛期に入った。…

【アグリコラ】より

…しかし彼の名声をねたんだ皇帝ドミティアヌスにより85年ころローマに召還され,死ぬまで隠遁生活を送った。彼の娘と結婚した歴史家C.タキトゥスは《ユリウス・アグリコラの生涯と性格について》を書き,彼の業績をたたえている。【市川 雅俊】。…

【ゲルマニア】より

…100年ころに活躍したローマの歴史家タキトゥスの書。執筆の時期は《アグリコラ伝》と同じころ(98年)である。…

【スラブ人】より

…スラブ人の歴史の舞台への登場は比較的遅く,西暦の紀元が改まるころからである。スラブ人についての最初の確かな情報はローマの史家大プリニウスおよびタキトゥスの著作の中に見られ,スラブ人はウェネディVenedi(ウェネティVeneti)の名で現れる。タキトゥスの《ゲルマニア》によれば,ウェネディはペウキニ人(ゲルマン系)とフェンニ人(フィン系ないしラップ系)の居住地に挟まれた森林や山岳地に家を建てて定住し,槍や楯などの武器を携えて,敏しょうに走りまわって略奪を行い,その生活様式はゲルマン人のそれに近い。…

【ラテン文学】より

…有名な弁論術教師には,演説の見本集を残した大セネカ,《弁論術教程》を著したローマ最大の修辞学者クインティリアヌス,皇帝マルクス・アウレリウスの師フロント,弁論のための資料集を編んだウァレリウス・マクシムスValerius Maximusなどがいる。 白銀時代の最大の作家は小セネカ(以下単にセネカと記す)とタキトゥスであろう。セネカはストア学派の思想と修辞学とを結合した多くの哲学書と書簡集,ギリシア悲劇に基づく9編の悲劇などを残した。…

※「タキトゥス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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