改訂新版 世界大百科事典 「ダゲスタン共和国」の意味・わかりやすい解説
ダゲスタン[共和国]
Dagestan
ロシア連邦南西部,北カフカスにある共和国。ソビエト連邦のダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国が,連邦解体後の92年3月,ロシア連邦条約でロシア連邦を構成する共和国となった。地域名ダゲスタンはトルコ語の〈ダグ(山)〉〈スタン(国)〉に由来する。カフカス山脈の東端の北斜面に位置し,国土の3/4は山地で,東にカスピ海を臨み,クマ川,テレク川,スラク川,サムル川が貫流する。面積5万0300km2。人口257万6531(2002),首都マハチカラ。住民は複雑で約30の民族に分かれ,世界でも有数の多言語・多民族地域として知られる。民族構成(1989)は,アバール人27.5%,ダルギン人15.6%,クミク人12.9%,レズギン人11.3%,ロシア人9.2%,ラク人5%,タバラサン人4.3%,ノガイ人1.6%などで,このうちの80%がダゲスタン諸族(広義の)に属し,その言語はカフカス諸語のうちのダゲスタン語群を形成する。ペレストロイカ以後にはレズギン族の民族統一,国家形成の運動(アゼルバイジャン領にも居住)等も伝えられる。
歴史
旧石器時代をはじめ考古学上の遺跡に富み,紀元前にカフカス・アルバニア王国の一部となる。6~10世紀封建的諸関係が発生,7~9世紀にはアラブの侵攻,支配をうけた。11世紀セルジューク・トルコが侵攻。12世紀末アバール・ハーン国などの封建諸国家が形成された。13~14世紀モンゴルの侵攻をうけ,イスラム教(スンナ派)が流布した。16~17世紀にはイラン,トルコの角逐の場となり,16世紀中葉にはカザン,アストラハン両ハーン国を併合したロシアもこれに加わる。1722年ロシアのピョートル1世はカスピ海沿岸部を併合したが,35年,これをイランに譲った。諸小国が分立したダゲスタンをめぐる角逐は,その後も続き,1813年の条約によりロシアへの併合が確定した。イスラム神秘主義の一派であるミュリディズムを奉じる戦闘的教団が主導する北カフカス山岳諸民族の解放闘争は,30年代にダゲスタン,チェチェンにイマーム国家を形成するに至り,59年,その指導者シャミーリの降伏まで続いた(〈カフカス〉の項参照)。60年,ロシア帝国はダゲスタン州とし,帝国の支配機構を導入,90年代にはウラジカフカス鉄道を敷設。1917年の十月革命,内戦期を経て,20年3月赤軍により解放され,21年1月自治共和国を形成した。
産業
石油,天然ガス,石炭などの鉱物資源,水力資源に富み,石油関連および金属加工業の比重が大きい。地域的特色は,テレク川デルタ地帯とスラク川流域地帯は灌漑による穀物,ブドウ栽培,園芸と食品加工業,北のノガイスク・ステップは牧羊が中心である。カフカス山脈の山麓の丘陵地帯は主都マハチカラを中心とする工業地帯で,食品,軽工業,金属加工業,果実栽培も盛ん。内陸山岳地帯は国土の大部分を占め,牧羊などの畜産業と食品加工業が中心。南部地帯は沿岸平野の南部とサムル川流域を含み,最も温暖で乾燥しており,果樹,ブドウ,亜熱帯農業植物の栽培が盛んである。ガス田はダゲスタンスキー・オグニ,油田はマハチカラ,イズベルバシ地区に集中し,石油はチェチェン共和国のグロズヌイにパイプラインで送られ,精製されている。
執筆者:高橋 清治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報