ダルマ(英語表記)dharma

翻訳|dharma

改訂新版 世界大百科事典 「ダルマ」の意味・わかりやすい解説

ダルマ
dharma

インドの宗教,思想,ないし仏教の重要な概念で,仏教では〈法〉と漢訳される。このことばは,〈保つ〉〈支持する〉を意味する動詞の語源dhṛ-から派生し,そうした作用を実体化した名詞で,〈保つもの〉〈支持するもの〉を原義とする。仏教では,〈任持自性(にんじじしよう)・軌生物解(きしようもつげ)〉,すなわち固有の性質を保ち,ものごとの理解を生じさせるもの,という語源解釈が行われている。ただしこのことばは,状況に応じてさまざまなニュアンスで用いられている。そのニュアンスを考慮に入れると,ダルマはほぼつぎの四つに分類される。

(1)規範としてのダルマ ヒンドゥー教ではふつう,ダルマというだけでヒンドゥー教そのものを意味する。ヒンドゥー教徒にとって,ダルマとは,ベーダ聖典の権威を認め,バラモンクシャトリヤ,バイシャ,シュードラという四つの階級(バルナ)と,学生期,家住期,林棲期,遊行期という四つの生活段階(アーシュラマ)ごとに定められた社会的義務を遂行することである。あるいは,ベーダ聖典などによって定められた祭式を,正しい順序を追って執行することである。ダルマが正しく守られないとき,人間社会は混乱に陥り,虚偽と不正義が横行するという。古いベーダの時代には,天則(リタ)というものが世界の秩序の根源だとされていたが,やがてその概念は,このダルマによって表現されるようになったのである。また,ベーダの権威を認めず,四つの階級と四つの生活段階を認めず,したがってまた,ベーダにのっとった祭式を認めない宗教,たとえば仏教やジャイナ教でも,ダルマということを非常に重視する。この場合には,ダルマは,社会規範というよりも,解脱を窮極のものとする宗教的目標に人びとをいたらしめる〈正しい教え〉(教法),ないし〈真理〉を意味する。たとえば仏教では,〈諸行無常〉〈諸法無我〉〈一切皆苦〉〈涅槃寂静〉の四つ(あるいははじめの三つ)が,すべてのダルマの要約(法印)すなわち仏教の旗印であるとされた。なお,今日のヒンディー語では,仏教は,〈ボウッド・ダルム〉すなわち〈ブッダ(仏陀)の徒のダルマ〉といい慣わされている。

(2)善業としてのダルマ 上述の社会的規範としてのダルマを遵守することによって,人は,死後に天界に生まれかわるなどという,よい果報を得ることができるとされる。これは,因果応報の業(カルマン)の理論であるが,ここから,ダルマは,善業であるとも解せられるようになった。ダルマを行うことによって,みずからの内に潜在的な力としてのダルマを蓄えれば,いくばくかの時を隔てて,この潜在的な力としてのダルマが熟したとき,よい果報,楽果がもたらされるという。ちなみに,悪業はこれとの対比で,〈アダルマ〉(非法)と称せられる。

(3)ものごととしてのダルマ 〈保つもの〉〈支持するもの〉という語源から発して,仏教では,ダルマは,身心を中心として,世界を成り立たしめるさまざまな要素としても解せられた。その一つの分類が,五蘊(ごうん),十二処,十八界というものである。五蘊というのは,身心を基本的に構成する色(しき),受,想,行(ぎよう),識という五つのグループのことである。色蘊は,身体と世界を形づくる物質のグループ,受蘊は知覚作用のグループ,想蘊は感受された知覚を心に表象する作用のグループ,行蘊は,なにがしかの行為がなにがしかの結果をもたらすときの,その結果をもたらす原因となる作用のグループ,識蘊は,常識的な意味での判断作用のグループのことである。十二処は,六内処(六入)と六外処(げしよ)に分かれる。六内処とは,眼(げん),耳(に),鼻(び),舌(ぜつ),身(しん),意(い),つまり,視覚器官聴覚器官嗅覚器官味覚器官触覚器官という5種の外的器官と,それらと密接に結びつきながら,意識をもたらす内的器官(意)の作用のことで,六根ともいわれる。六外処とは,色,声(しよう),香,味,触(そく),法(意の対象となる概念),つまり,知覚の対象のことで,六境ともいわれ,外界全体をおおうことになる。十八界とは,この十二処(六根六境)に,六識を加えたものである。その六識とは,眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識,つまり,視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚および認知機能のことである。まとめていえば,認識を作用,対象,機能の各側面で分析することにより,同時に,存在するものすべてをダルマに分類しているのである。また,これとは別に,すべてのダルマを五位七十五法としてまとめることも行われた。これは,法をまず有為法(諸縁によって生じたもの)と無為法(絶対的存在)に分け,有為法を,三色法(しきほう)(物質的現象),心王(しんのう)(認識主観),心所法(しんしよほう)(心に伴ってはたらく諸現象),心不相応行法(しんふそうおうぎようほう)(物でも心でもない,関係や力,概念など)の4位に分け,そのそれぞれをさらに細分し,一方,無為法を第5位とし,虚空無為空間,択滅(ちやくめつ)無為(涅槃),非択滅無為(縁がなくて現在化しなかった存在)の三つに分ける。

(4)性質,属性としてのダルマ ダルマはまた,あるものをあるものたらしめる特徴というところから発して,性質,属性という意味ももつ。とくに,インドの哲学的諸学派はこの意味のダルマを重視し,知識論,論理学において,すべてのものごとを,ダルマとそのダルマを有する基体(ダルミン),およびその両者の関係より成り立つものとして考える。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダルマ」の意味・わかりやすい解説

ダルマ
dharma

サンスクリット語では,多様な意味をもつ語であるが,漢語にはほとんど「法」と訳されているように,一般的には「倫理的規範」「きまり」を意味する。法律もダルマであり,宗教的義務もダルマである。また善の価値観を入れて「美徳」「義務」「正義」の意味にもなり,古来インドにおける人生の四大事 (法,実利,愛欲,解脱) の一つでもある。語形的には語根 dhṛ (保つ) の派生語とされ,「保つもの」というのが語源的意味と考えられる。ジャイナ教教祖マハービーラは,ベーダ聖典の権威を否定し,あらゆる人間,あらゆるとき,あらゆるところにおいても遵奉すべき普遍的なダルマがあると考えた。釈尊は一切の形而上学的独断を排し,既成の価値観から推論することをやめ,現実そのものに向い,現実のなかから人間の生きるべき道を明らかにして,これをダルマと呼んだ。このようにダルマは「教説」でもあり,人間の守るべき永遠の理法としての「真理」でもある。ダルマの実現を政治理想としたアショーカ王の存在からも知られるように,宗教的義務であるダルマは,同時に超法律的な人倫の法でもあるのは,インド的な政治観念として興味深い。

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百科事典マイペディア 「ダルマ」の意味・わかりやすい解説

ダルマ

インドの宗教・思想上の重要概念。〈保つもの〉を原義とする。仏教,ヒンドゥー教,ジャイナ教がダルマを重視する。この言葉はさまざまな意味と状況で用いられるが,規範としてのダルマ,善業としてのダルマ,世界を成立させる根本真理・性質としてのダルマなどに分類できる。仏教では,仏陀の悟った絶対かつ普遍の真理のことで,〈法〉と漢訳される。
→関連項目アショーカマウリヤ朝

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダルマ」の解説

ダルマ
dharma

インド思想の概念。「維持するもの」を意味し,法と漢訳される。バラモン教をささえる宗教的・社会的規範。空洞化されたヴェーダの教え(ヴェーダ・ダルマ)に権威づけられたヴァルナ・アーシュラマ・ダルマをさす。ヴァルナ・ダルマはバラモンを頂点とするカースト制を維持し,アーシュラマ・ダルマは出家主義をとる仏教,ジャイナ教に対し,出家主義をも制度化した在家主義を維持する。近代ではヒンドゥー教を永遠のダルマとも呼ぶ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダルマ」の意味・わかりやすい解説

ダルマ
だるま

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世界大百科事典(旧版)内のダルマの言及

【ジャイナ教】より

…〈命〉)と非霊魂(アジーバajīva。〈非命〉)とに大別され,非霊魂はさらに運動の条件(ダルマdharma),静止の条件(アダルマadharma),虚空(アーカーシャākāśa),物質(プドガラpudgala)の4種に分けられるという。霊魂と4種の非霊魂とをあわせて五つの基本的実在体(パンチャースティカーヤpañcāstikāya)と呼ぶ。…

【小乗仏教】より

…仏教の創始者釈迦の滅後約100年して(前3世紀半ばアショーカ王の頃と思われる)仏教教団はしだいに20ほどの部派に分裂し,煩瑣にして壮大な論蔵(アビダルマ(阿毘達磨)abhidharma)を打ち立て論争を行った。この時代の仏教を小乗仏教といい,西洋中世のキリスト教のスコラ哲学に比肩される。…

【カーマスートラ】より

…バーツヤーヤナ(マッラナーガ)作であり,およそ4~5世紀ころに成立したと推定されるが,この成立年代はなんら確定的なものではない。古来,インドではダルマ(法),アルタ(実利),カーマ(性愛)を人生の三大目的(トリ・バルガ)とするが,バーツヤーヤナは特にカーマを学ぶ意義を強調してこの書を著したものである。彼は本書の最後で,〈この書は最高の禁欲と精神統一により,世人の生活に役立てるべく作られたもので,情欲を目的として編まれたものでない〉と述べている。…

【ジャイナ教】より

…〈命〉)と非霊魂(アジーバajīva。〈非命〉)とに大別され,非霊魂はさらに運動の条件(ダルマdharma),静止の条件(アダルマadharma),虚空(アーカーシャākāśa),物質(プドガラpudgala)の4種に分けられるという。霊魂と4種の非霊魂とをあわせて五つの基本的実在体(パンチャースティカーヤpañcāstikāya)と呼ぶ。…

【小乗仏教】より

…仏教の創始者釈迦の滅後約100年して(前3世紀半ばアショーカ王の頃と思われる)仏教教団はしだいに20ほどの部派に分裂し,煩瑣にして壮大な論蔵(アビダルマ(阿毘達磨)abhidharma)を打ち立て論争を行った。この時代の仏教を小乗仏教といい,西洋中世のキリスト教のスコラ哲学に比肩される。…

【説一切有部】より

… 有部の基本的立場は三世実有説である。森羅万象を形成するための要素的存在として70ほどの法(ダルマ)を想定し,これらの法が過去・未来・現在の三世に常に自己同一を保ち実在するが,我々がそれらを経験できるのは現在の一瞬間にすぎない,という主張である。すなわち未来世に存するさまざまな可能性をもった雑乱住の法が現在に引張り出され,そこで一瞬間我々に認識され,次に過去に落謝する(去る)という。…

【ダルマ・シャーストラ】より

…〈ヒンドゥー法典〉とも呼ばれる。狭義には,前2世紀から後5世紀にわたって成立した《マヌ法典》《ヤージュニャバルキヤ法典》など,〈ダルマ・シャーストラ〉あるいは〈スムリティ〉(憶伝書)の名をもつ一群の文献をさす。 〈法(ダルマ)〉に関しては,すでにダルマ・スートラ(律法経)と称する文献群がバラモン教の聖典ベーダに付随して成立しており,バラモン教社会を構成する4階級(バルナ)それぞれの権利・義務や日常の生活法を規定していた。…

【ヒンドゥー教】より

…しかしこの語に正確に対応するインドの言葉はない。ヒンドゥー教徒の中には,自分たちの宗教を〈サナータナ・ダルマSanātana‐dharma(永遠の法)〉とか〈バイディカ・ダルマVaidika‐dharma(ベーダの法)〉と呼ぶ人もいるが,それほど一般的とはいえない。 ヒンドゥー教という語は,しばしばバラモン教と区別して使用されることがある。…

【ミーマーンサー学派】より

…また,ジャイミニはこの学派の根本経典《ミーマーンサー・スートラ》(別名《ジャイミニ・スートラ》)の作者と伝えられているが,この経典が現存の形に編纂されたのは実際には後100年ころである。この経典によれば,この学派の目的は,人間がなすべき義務,つまりダルマ(法)の探求である。ダルマとは,ベーダ聖典が命ずるところのものであり,実際には祭式のことである。…

※「ダルマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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