ロシアの民俗学者、辞書編纂(へんさん)家、作家。ロシアに帰化したデンマーク人の医師を父にもつ。海軍将校を経てデルプト大学(現、エストニアのタルトゥ大学)医学部を卒業し、軍医となり、のちに官途についた。役人生活の余暇に民俗・方言資料の収集、整理と創作活動に専念。1838年、オレンブルグ地方の動植物相の研究によりロシア科学アカデミーの自然科学部門の準会員に選ばれた。カザーク・ルガンスキーというペンネームをもつ「自然派」の代表的作家でもあり、『ロシア民話集』(1831)、『実話と空想物語』4巻(1833~1839)、『ウラルのコサック』(1843)、『酔いと夢と現実(うつつ)』(1843)、『従卒』(1845)、『死体』(1857)など多くの作品を書き、ロシア常民の生活を民衆的な俗語の語り口で細やかに描写する手法を開拓し、批評家ベリンスキーから高い評価を受けた。最大の業績は半世紀以上の歳月を費やして独力で完成した『大ロシア語詳解辞典』4巻(1863~1866)で、約20万語を収録し、方言や職業的位相からくる特殊語彙(ごい)を多数含み、記述が生活百科事典的性格を有するために読む辞典として教養あるロシア人に愛用されている。『ロシアの諺(ことわざ)』(1861~1863)も重要な業績で、3万以上の諺、諺的成句、謎(なぞ)を収録したもの。詩人のプーシキンと親交があり、決闘で倒れたプーシキンの臨終に友人、医師として立ち会った話は有名である。
[栗原成郎 2018年7月20日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ロシアの作家,辞書編纂者,民俗学者。海軍兵学校を卒業後,海上勤務を経て,デルプト大学(現,タルトゥ大学)医学部で学ぶ。軍医となるがまもなく退職して,オレンブルグをはじめ辺境の諸県で官吏として勤めるかたわら,広く旅行して,ロシア語の方言,昔話やことわざなどのフォークロア,さらには木版画などの民俗資料の採集を精力的に行った。同時に,カザク・ルガンスキーの筆名で昔話,僻地への旅行記,写実的色彩の強い創作なども発表した。3万以上のことわざや慣用句を含む《ロシア俚諺集(りげんしゆう)》(1861-62)につづいて,約20万語を収める《現用大ロシア語詳解辞書》(1863-68)を刊行し,科学アカデミーの名誉会員に迎えられた。この辞書は現在も版を重ねている。彼の収集した膨大な昔話はアファナーシエフによって,民謡はP.V.キレエフスキーによって,さらにルボーク(民間木版画)はロビンスキーDmitrii A.Rovinskii(1824-95)によってそれぞれ刊行された。
執筆者:中村 喜和
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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