チトー主義(読み)ちとーしゅぎ(英語表記)Titoism

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チトー主義」の意味・わかりやすい解説

チトー主義
ちとーしゅぎ
Titoism

ユーゴスラビアの大統領チトーの名にちなんだ用語。1948年ユーゴスラビアは、その政策において右翼的・民族主義的な傾向を帯び、修正主義に陥ったとしてコミンフォルムから除名される。以後この用語は、チトーをはじめ、スターリンによって修正主義者であるときめつけられた人々について用いられた。

 第二次世界大戦後の社会建設においてはむしろ当時のソ連の姿に忠実であったユーゴスラビアは、このコミンフォルムの非難にまっこうから対立した。この対立の根源は、第二次世界大戦中独力で解放闘争を進めたユーゴスラビアが戦後も独自の内外政策を行った点にある。そして、ソ連との経済・軍事協力の際の不一致やユーゴスラビア国内における農業集団化の不徹底などに対して不満を抱いていたスターリンは、バルカン連邦構想などの独自の外交政策を進めたことに激怒し、ユーゴスラビアを社会主義陣営から追放することとした。しかしスターリンの死後は社会主義への道の多様性がいちおう認められるようになり、フルシチョフのユーゴスラビア訪問を経てユーゴスラビアに対する社会主義陣営内部における評価も回復した。長らく激しいチトー主義批判を続けてきた中国とも、1977年のチトーの訪中にもみられるように、関係が改善された。

 チトー主義の語は、コミンフォルムからの追放以後明確に打ち出されたユーゴスラビア独自の社会主義路線、すなわち国内における自主管理と外交面における非同盟の路線を示す語としても用いられた。自主管理とは、労働者が直接的にまたは労働者評議会等を通じて間接的に企業を管理すること。さらにコミューン共和国の役割や権限を強化することによって社会全体の自治を強化することを理念とする制度であった。またそこでの共産主義者同盟(1952年共産党から改称)の役割は、大衆を指導することではなくそれを説得し教育することにあるとされた。一方、非同盟政策は、第三世界の諸国とともにブロック化に反対し、積極的な平和共存による緊張緩和を目ざすものであった。

[越村 勲]

『ヴィンテルハルテル著、田中一生訳『チトー伝――ユーゴスラヴィア社会主義の道』(1972・徳間書店)』『加藤雅彦著『ユーゴスラヴィア――チトー以後』(中公新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チトー主義」の意味・わかりやすい解説

チトー主義
チトーしゅぎ
Titoism

ソ連型社会主義を修正するものとしていわれた言葉で,直接的にはユーゴスラビア型社会主義および同国大統領チトーの内外政策をいう。第2次世界大戦後,自力で国を解放したとの意識に燃えるユーゴは,ソ連による指導の押しつけや不平等な経済関係を拒絶し,1948年にコミンフォルムから除名されたが,圧力に屈せずその後独自の社会主義路線を建設した。これは対内的には,共和国や各級自治体による徹底した地方自治と,生産者評議会という自治機関による企業の自主管理という2本の柱を制度的特徴とし,経済運営面では市場の需給関係を計画よりも重視するという,いわゆる分権社会主義ないし市場社会主義である。対外的には,第三世界と協力して東西の軍事ブロックと覇権主義に反対する非同盟主義となって現れた。 I.スターリンの死後,ソ連はユーゴとの関係を改善するとともに,みずからも市場原理を部分的に導入し,また非同盟主義の役割を積極的に評価するようになった。それに伴い「チトー主義」という言葉はあまり使われなくなった。

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