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チャルトリスキ Adam Jerzy Czartoryski

世界大百科事典 第2版の解説

チャルトリスキ【Adam Jerzy Czartoryski】

1770‐1861
ポーランド分割から十一月蜂起後の〈大亡命〉までの激動期を生き抜いたポーランドの政治家。チャルトリスキ家は15世紀中ごろまで系譜をたどれるリトアニア出身の貴族だが,有力なマグナートとして台頭してくるのは祖父アレクサンデル・アウグストAleksander August C.(1697‐1782)の代である。祖父は息子のアダム・カジミエシュAdam Kazimierz C.(1734‐1823)をポーランド王位に就けることを計画するが,本人にその意志がなく果たさなかった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のチャルトリスキの言及

【十一月蜂起】より

…モフナツキMaurycy Mochnacki(1803‐34)ら過激派は,直ちに臨時政府を発足させて対ロシア戦争に踏み切るべきであると主張し,12月愛国者協会を結成して行政会議に圧力をかけた。行政会議は解散し,チャルトリスキを首班とする臨時政府がこれに代わって登場した。しかし大侯がロシアへ帰国する前に,ポーランド軍の忠誠義務を解除したため,大侯に従ってワルシャワ郊外に出かけていたポーランド軍がワルシャワに帰ってきた。…

【ポーランド】より

…1764年にロシアのエカチェリナ世の指示に従ってポーランド国王に選ばれたスタニスワフ・アウグストが改革を試みるが,所詮それが可能な範囲は限られていた。コウォンタイら下級シュラフタ出身の改革派およびアダム・カジミエシュ・チャルトリスキAdam Kazimierz Czartoryski(1734‐1823)らのチャルトリスキ一族など一部のマグナート以外には,彼が頼れる勢力はどこにも存在しなかったからである。むしろ,伝統的な特権を守るためには,ロシアの援助を要請することすらいとわないシュラフタの方が多かった。…

※「チャルトリスキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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