チューネン
ちゅーねん
Johann Heinrich von Thünen
(1783―1850)
ドイツの農業経済学者。西北ドイツのオルデンブルクの農場主の家に生まれる。1803年にゲッティンゲン大学に入学したが、中途退学した。科学的農法を説く農学者A・D・テーアにも師事したが、あらゆる場所で輪栽式農業を提唱することには批判的であった。
1809年に東北ドイツのメクレンブルク地方で農業を開始、翌10年、同地方の港湾都市ロストック近傍にテロー農場を入手した。この農場での経験を基礎に、特定の要素だけを取り出して考察する孤立化的方法と、微分学をはじめとする数学的手法を駆使して研究した成果が、農業経済学の古典とされる主著『孤立国』Der isolierte Staat in Beziehung auf Landwirtschaft und Nationalökonomie(1826~63)である。30年にはこの書によって、ロストック大学から哲学博士の名誉称号を授与された。『孤立国』は三部からなり、第一部(1826刊)で展開されている理論は、農業立地論の先駆けをなすものである。とくに、農産物市場としての都市からの距離に応じて最高地代をあげる農業経営組織が異なり、均質平野の前提のもとではいわゆるチューネン環が同心円状に形成されることを論じ、位置の差額地代論を発展させた。また、『孤立国』第二部第一編(1850刊)では、資本所有者と労働者の二階級を想定し、労働者が生活維持に必要な賃金額だけではなく、資本財の提供者として、それに見合う利益を受け取るよう主張し、自然賃金論を展開した。さらに彼は同書で、利子・賃金はそれぞれ最後に投下した資本・労働の生産力によって決定されるとして、限界生産力説を打ち出し、限界分析の創設者の1人とされている。彼の理論に対しては、地代と利潤との混同がみられること、ユンカーの立場にたっていること、自然賃金論の前提がユートピア的であること、などの批判がなされている。しかし他方で、A・マーシャルをはじめとする近代経済学および農業経済学、さらには農業立地論・住宅立地論の発展に大きな影響を及ぼした研究者として、高く評価されている。
[中島 清]
『近藤康男訳『孤立国』(『近藤康男著作集 第一巻』所収・1974・農山漁村文化協会)』
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チューネン
Johann Heinrich von Thünen
生没年:1783-1850
ドイツの農業経済学者。〈位置地代〉論や立地論の定立者として知られ,限界分析の先駆者でもある。オルデンブルクのイェーファーの農場主の子。早く失った父に似て数学を好む。1799年から農業を実習。科学的農法を説くA.テーアにも師事したが,彼の時と所とにかかわらぬ輪栽式農業の提唱には批判的であった。1803年ゲッティンゲン大学に入学したが,学友の妹と恋愛,結婚のため退学してメクレンブルクで農業を開始。10年,ロストク近傍のテロー農場を入手して定住,模範的に経営した。その経験と簿記データを基礎に,孤立化的思考操作と数理的手法で研究した成果が名著《農業と国民経済との関係における孤立国Der isolierte Staat》(1826-63)で,都市からの距離に応じて最高地代をあげる農業経営組織が異なり,均質平野の場合,結果としていわゆるチューネン圏がもたらされること等を論じ,労働者の貧困を解決するため国費による教育の実施を提案し,また資本と利子や労働と賃金の問題に限界生産力理論を展開するなどした。1830年にロストク大学から名誉博士号を受ける。A.マーシャルら多くの経済学者・地理学者に影響を与え,第2次大戦後の住宅立地論等の一根源ともなっている。
執筆者:西岡 久雄
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チューネン
Thünen, Johann Heinrich von
[生]1783.6.4. イェーファー近郊グートカナリエンハウゼン
[没]1850.9.22. テロー(現メクレンブルクフォアポンメルン)
ドイツの農業経済学者。ゲッティンゲン大学中退後,1810年からテロー農場に定住し農業経営の実践を行い,科学的農法の導入に努力するかたわら,イギリス古典派経済学を学びつつ独創的な実証的・理論的研究を進めた。独自の方法で差額地代論を展開し,都市からの距離に応じた農業経営の変化を論じた「チューネン圏」は,農業立地論の発展の基礎となり,また資本投下の変化が生産力や分配に及ぼす影響の解明では,限界分析の手法を用いて限界生産力説の先駆者とされている。主著『農業と国民経済との関係における孤立国』 Der isolierte Staat in Beziehung auf Landwirtschaft und Nationalökonomie (3部,1826~63) 。
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チューネン
ドイツの農業経済学者。大学中退後自ら農場経営に従事し,その経験から《農業と国民経済との関係における孤立国》(1826年−1863年)を著し,市場から遠くになるにつれて運賃が高くなるため,農業は集約農業から粗放農業に移ること,所得は生産要素の限界生産力できめられること,労賃は労働生産物に適応すべきことを説いた。
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世界大百科事典(旧版)内のチューネンの言及
【近郊農業】より
…近郊農業に対して都市の遠隔地の農業を遠郊農業ということがあるが,一般にはあまり使われていない。農業立地論をはじめて体系化した[チューネン](1783‐1850)は,都市からの距離によって,自由式,林業,輪栽式,穀草式,三圃式,牧畜といった農業経営方式が順次に立地することを述べたが,ここでの自由式が近郊農業の原型といってよい。すなわち自由式は,都市から有機質肥料を入手することができるため,地力維持のための輪作や養畜にとらわれる必要がなく,また農産物の運搬も容易でかつ費用がほとんどかからないため,作物の選択が自由にできる地域という意味である。…
【工業立地】より
…工業に限らず,農業,商業など産業の立地に関する理論を産業立地論あるいは単に立地論という。
[古典的立地論――チューネンとウェーバー]
経済活動の立地問題については古くから断片的な分析が行われていたが,本格的に体系化されたものはJ.H.チューネンの農業立地論(《孤立国》1826)に始まる。チューネンは抽象化された孤立国において,都市からの距離に応じて主要生産物を異にするかなり明瞭な同心円構造が存在することを,市場価格を一定とした場合の生産費と都市への運送費との関係から明らかにした。…
【地域】より
…これらはいずれも同質的見方による地域システムであった。
[機能的地域論の展開]
これらに対して,農村とその中心をなす都市との機能関係に視点をおいて,同心円的圏域構造の形成理由を初めて論証したのは,J.H.vonチューネンである。その古典的名著《孤立国》(1826)には,著者自身の農場経営における収支計算に基づき,それに演繹的推敲を加えて導き出された法則,すなわち,中心の唯一市場たる都市からの距離に応じて,農業経営形態と輪作方式が輸送費の関係で同心環的に変わる理由が証明されている。…
【農学】より
…テーアは近代農学の祖といわれ,第2次大戦後もしばらくは日本の農業経営学に影響を及ぼしていた。テーアと同時にA.スミスの弟子J.H.vonチューネン(1783‐1850)は,みずから農場を管理し,経営・経済的検討を行い,《孤立国》を著して〈農業集約度学説〉,また今日日本では否定的にみられている〈[収穫逓減の法則]〉を唱えた。ついで実証的・実験的農学ともいわれる分野を展開したのはJ.vonリービヒ(1803‐73)であった。…
【農業立地】より
…このような自然的・社会経済的条件に生産・出荷が規制されている農業で,それぞれの個別作物や家畜がどこで生産されているかを明らかにし,それが自然的要因や都市化,交通輸送機関の発達,その他出荷市場までの距離などの社会経済的要因とどのように関連しているかを究明するのが農業立地理論である。 農業立地問題に科学的に最初にとり組んだのはドイツ人の[J.H.vonチューネン]である。彼はみずからテロー農場を経営し,その経験と実際の記録資料に基づいて立地論の古典《孤立国》(1825)を書いた。…
※「チューネン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」