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ティエポロ Tiepolo, Giovanni Battista

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ティエポロ
Tiepolo, Giovanni Battista

[生]1696.3.5. ベネチア
[没]1770.3.27. マドリード
イタリアの画家。 S.リッチ,P.ベロネーゼの影響下で自己の画風を確立し,18世紀最大のフレスコ画家としてベネチア派に最後の繁栄をもたらした。 1717年画家組合に入り,50年まで主としてベネチアで活躍。スカルツィ聖堂礼拝堂の天井画 (1743~44) やフレスコアントニウスとクレオパトラ』 (45~50,パラッツォ・ラビア) などで円熟期に達する。 50~53年,皇太子司教に招かれてウュルツブルクに滞在,ドイツ皇帝フリードリヒ1世の生涯そのほかのフレスコおよび祭壇画を制作。 55年帰郷しベネチア・アカデミア初代会長に就任。 61年カルロス3世に招かれてスペインにおもむき,2人の息子とともにマドリードの王宮にフレスコの連作を描く。当地で不遇の晩年を過したが,その作品は2世代後のゴヤに大きな影響を与えた。

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百科事典マイペディアの解説

ティエポロ

イタリアの画家。ベネチア生れ。ラッザリーニに学び,ピアツェッタベロネーゼの影響を受けて,ルネサンス時代から続いたベネチア派の最後を飾る大家となった。ドイツやスペインのマドリード等でも活動。
→関連項目ビュルツブルク司教館フラゴナールロココ美術ロンギ

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世界大百科事典 第2版の解説

ティエポロ【Giambattista Tiepolo】

1696‐1770
イタリアの画家。ベネチア派最後の大装飾画家で18世紀イタリアのロココ文化を代表する。ベネチアの裕福な船荷商人の家に生まれ,ラッザリーニG.Lazzariniのもとで修業した後,1717年,21歳で画家組合に登録される。19年画家グアルディの姉と結婚。初期にはS.リッチやピアツェッタの影響(流暢で軽快な絵画的フォルムや大胆な遠近法構図)を受け,またベロネーゼの明朗な色彩空間を取り入れて自己の画風を形成。

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大辞林 第三版の解説

ティエポロ【Giovanni Battista Tiepolo】

1696~1770) イタリアの画家。明るい色調の独特の明暗法で装飾的・幻想的な世界を描出した。ヨーロッパ各地で天井画・壁画を描いた一八世紀ベネチア派の代表的画家。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ティエポロ
てぃえぽろ
Giovanni Battista Tiepolo
(1696―1770)

イタリア、ベネチア派の画家。4月16日ベネチアで受洗(正確な誕生日は不明だが3月5日ごろ)。18世紀最大の装飾画家の1人であると同時に、ジョット以来のイタリア絵画の最後を飾る巨匠でもあった。海商の子として生まれ、初めラッザリーニGregorio Lazzariniのもとで修業するが、セバスチアーノ・リッチやピアツェッタ、とくに16世紀のベロネーゼから多くを学んだ。最初の確かな作品が『イサクの犠牲』(1715~16。ベネチア、オスペダレット)であり、1717年画家組合に登録、19年フランチェスコ・グァルディの姉チェチリアと結婚する。ベネチアのほか、ウディネ(1726)、ミラノ(1731)、ベルガモ(1731~32)など北イタリアの諸都市で活躍、初期の暗い色調を一掃し、明るく色彩豊かな画風を確立する。ベネチアのパラッツォ・ラビアの壁画『クレオパトラ物語』(1747~50)ではみごとな視覚的イリュージョンの世界をつくりあげ、このころから絶頂期に入る。50年にはドイツのウュルツブルク宮に招かれ、建築と一体となった壮大な天井画『世界の四大陸』などを制作した。55年ベネチアのアカデミアの院長に就任。ビチェンツァのビッラ・バルマラーナの壁画やストラのビッラ・ピサーニの天井画を完成させたのち、62年スペインのカルロス3世の招きで息子とともにマドリードに赴く。王宮の玉座の間の天井画制作がおもな仕事であったが、アランフェスのサン・パスクアレ聖堂にも7点の祭壇画を描いた(ただしこの祭壇画はやがてメングスの作品に取り替えられてしまう)。神話や聖書の物語を題材にした軽快な筆致のフレスコ画でとくに有名であるが、油彩画も多数制作しており、また『気まぐれ』などのエッチングの連作も残している。近代画家の先駆者であるゴヤがティエポロの壁画やエッチングから多くの影響を受けたことは特筆されてよい。1770年3月27日マドリードで没した。なお、息子のドメニコGiovanni Domenico Tiepolo(1727―1804)も画家で、1745年ごろから父の助手として働いているが、父に忠実な画風なため判別がむずかしい。版画家としても『エジプトへの避難』(1753)の連作などを残している。[篠塚二三男]

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世界大百科事典内のティエポロの言及

【ピラネージ】より

…44年ベネチアに帰郷。G.B.ティエポロから影響を受けて,従来の固い定形化した描写から脱し,豊かな絵画的描線と自在なイメージを獲得する。あわせてビビエーナらのバロック的舞台空間の刺激もあって,大判の,壮大な《牢獄》シリーズのイメージには画風の変化が認められる。…

【ベネチア派】より

… ベネチア派の〈絵画的〉特性はさらに絵画自体の特質をも規定している。フィレンツェ派の素描(ディセーニョdisegno)に対するベネチア派の彩色(コロリートcolorito)と言われるように,古くはゴシックのパオロ・ベネツィアーノPaolo Venezianoから下ってはロココのティエポロに至るまで,一貫して形体,線,彫刻的ボリュームより色彩,光のトーン,絵画的マッスあるいは筆触に価値を置いた。その結果,前者より半世紀遅れて発展したにもかかわらず,ジョバンニ・ベリーニの様式変化に象徴されるような急速な成熟を遂げて,近代的な開かれた絵画的様式と概念にいち早く到達する。…

※「ティエポロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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