テクノロジカル・アート(読み)てくのろじかるあーと(英語表記)technological art

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

テクノロジカル・アート
てくのろじかるあーと
technological art

科学技術を応用する芸術で、英語ではアート・アンド・テクノロジーart and technologyあるいはエレクトロニック・アートelectronic artとも表記する。キネティック・アート、ライト・アート、コンピュータ・アートビデオ・アート、レーザー・アート、ホログラフィック・アートなど、おもに電気を用いる装置芸術の総称。
 1980年代にはハイテクノロジー・アート、ハイパーアート、エレクトロニック・アート、サイエンス・アートなどとも称されたが、1990年代以降インタラクティブ・アート、デジタル・アートなどを含め、メディア・アートと称されるようになってきている。[三田村右]

歴史

古代ギリシアにおいてtchn(技術)がars(芸術)を包含していたことからもわかるように、両者は長く結び付いていたが、近代化の過程でしだいに分離してきた。20世紀に入って間もなく、未来派(未来主義)の人々が機械を賛美し素材の拡張と動きの導入を唱えると、1920年代に構成主義者のガボが電動によるキネティック・アートを開拓し、モホリ・ナギが電光を使用して開拓したライト・アートは、1930年代のウィルフレッドThomas Wilfred(1889―1968)に受け継がれた。
 第二次世界大戦中は一時停滞したものの、戦後の1955年にパリで「運動」展が催されたのを皮切りに、1957年にはデュッセルドルフで「グループ・ゼロ」が結成され、1961年のストックホルムでの「芸術における動き」展を契機にキネティック・アートへの関心が高まり、シェフェール、ツァイWen Ying Tsai(1928―2013)、ティンゲリー、磁石を用いるタキスTakis(1925― )らが活動を展開した。
 1960年にはパリで「視覚芸術探究グループ」が結成され、1965年の「応答する眼」展でオプ・アートが開花すると、各地で「光と運動」展が催され、ル・パルクJulio Le Parc(1928― )らのライト・キネティック・アートが盛んになる。このころ、視聴覚機器の普及と米ソの宇宙開発競争への関心とが相まって、科学技術の美術への応用が「芸術の電化」と唱えられ、1952年にラポスキーBen F. Laposky(1930―2000)がコンピュータを、1954年にシェフェールがサイバネティックスを、1962年にレイテスワルドKarl Fredrik Reuterswrd(1934―2016)がレーザー光を、1963年にナム・ジュン・パイクがビデオを、1968年にベンヨンMargaret Benyon(1940―2016)がホログラフィーをアート・メディアとして導入し、それぞれの領域を開拓している。
 1966年にはラウシェンバーグらがニューヨークで「芸術と科学技術の実験」(E.A.T.=Experiment in Art and Technology)グループを組織、1967年にはモホリ・ナギの友人であったケペシュによってマサチューセッツ工科大学(MIT)に高等視覚芸術研究所(CAVS)が設立された。同年、ニューヨーク近代美術館で催された「ザ・マシーン:機械時代の終わりに」とロンドンで催された「コンピュータ・アート」の二つの展覧会は、電気仕掛けの機械作品から電子制御装置へのテクノロジー・アートの転換を意味しているようで示唆的である。以後1980年代にかけて、欧米では「アート・アンド・テクノロジー」、日本では「ハイテクノロジー・アート」の名のもとに、当時の先端技術やメディアの名を冠してアート活動が進められたが、コンピュータがあらゆる分野に介在するようになり、こうしたジャンル分けはしだいに意味をなさなくなってきている。[三田村右]

メディア・アートとしてのテクノロジカル・アート

1979年にはオーストリアのリンツで総合的な催し「ARS ELECTRONICA」が開催され、1985年にMITにメディア・ラボが開設された。1990年ケルン・メディア芸術大学が開学したころから、メディア・アートという呼称が流布し、1997年にはドイツのカールスルーエにメディア・アート・センター(ZKM)が開設された。ここでは、電光掲示板に社会的メッセージを表示するホルツァーJenny Holzer(1950― )、人工衛星からの情報を使って地球のエコロジカル(生態学的)な状況を表示するギュンターIngo Gnther(1957― )、バーチャルリアリティ(仮想現実)空間内に人工生命体が観賞者の動きに反応して変化する作品をつくりだすソムラーChrista Sommerer(1964― )とミニョノーLaurent Mignonneau(1967― )、量感のある光の空間を幻出させるタレルJames Turrell(1943― )、LED(発光ダイオード)デジタル・カウンターによって無窮の時間を表示する宮島達男(1957― )、音響と映像の連携を追求する岩井俊雄(としお)(1962― )らの活動が目だっている。いずれにも、環境芸術とのかかわりをみることができる。[三田村右]

日本におけるテクノロジカル・アート

日本では、第二次世界大戦後間もない1951年(昭和26)に滝口修造の肝入りで造形の山口勝弘、北代省三(1921―2001)、福島秀子(1927―1997)、音楽の秋山邦晴(1923―1996)、一柳慧、武満徹、湯浅譲二、写真の大辻清司(きよじ)らが「実験工房」を結成し、先駆的な試みをなした。1970年大阪万国博覧会の高揚を経て、1982年に山口勝弘、キネティック彫刻の伊藤隆道(1939― )を中心にグループ「ART-UNI」が結成され、「ハイテクノロジー・アート」展を主催し、1989年(平成1)「名古屋国際ビエンナーレ・ARTEC'89」、1990年「ふくい青年メディアアート・フェスティバル」へと受け継がれた。1997年には主としてメディア・アートを展示するNTTインターコミュニケーション・センター(ICC、東京新宿の東京オペラシティタワー)が開設されている。[三田村右]
『三井秀樹著『テクノロジー・アート 20世紀芸術論』(1994・青土社) ▽長幾朗編『メディア・レヴォリューション1 アート/テクノロジーの可能性』(1996・ジャストシステム) ▽椹木野衣著『テクノデリック 鏡でいっぱいの世界』(1996・集英社) ▽ロイ・アスコット著、藤原えりみ訳『アート&テレマティークス 新しい「美」の理論構築に向けて』(1998・NTT出版) ▽伊藤俊治著『電子美術論』(1999・NTT出版) ▽志賀厚雄著『デジタル・メディア・ルネッサンス――バーチャル・ワールドとアートの潮流』(2000・丸善) ▽Frank Popper:Art of the Electronic Age(1993, Thames & Hudson)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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