一柳慧(読み)イチヤナギトシ

デジタル大辞泉 「一柳慧」の意味・読み・例文・類語

いちやなぎ‐とし【一柳慧】

[1933~2022]作曲家・ピアニスト兵庫の生まれ。昭和29年(1954)、米国ジュリアード音楽院に留学。のちジョン=ケージ師事し、帰国後はケージら米国の前衛音楽を日本に紹介した。日本の伝統楽器を使った楽曲などにも取り組み、国際的に活躍した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一柳慧」の意味・わかりやすい解説

一柳慧
いちやなぎとし
(1933―2022)

作曲家・ピアノ奏者。神戸生まれ。作曲を平尾貴四男(きしお)(1907―1953)と池内友次郎(いけのうちともじろう)(1906―1991)に、ピアノを原智恵子(1914―2001)に師事。1949年(昭和24)にピアノ・ソナタで第19回日本音楽コンクール作曲部門(室内楽曲)第1位を17歳の若さで獲得する。1952年渡米、ジュリアード音楽学校に留学。1959年にニューヨークのニュー・スクールでジョン・ケージに師事、その後の一柳の作曲活動を左右することになる影響を受ける。1961年(昭和36)に帰国後、ケージをはじめとするアメリカの実験主義音楽を紹介するほか、『ピアノ音楽』第1~7番(1959~1961)、『弦楽器のために第1・第2』(1961)、『プラティヤハラ・イヴェント』(1963)など、図形楽譜を用いた実験主義的な自作を発表する。一柳による紹介を機に「ジョン・ケージ・ショック」とよばれるセンセーションを日本の作曲界に引き起こす。

 『ピアノ・メディア』(1972)をはじめ、『タイム・シークエンス』(1976)、『二つの存在』(1980)、バイオリンオーケストラのための『循環する風景』(1983。第32回尾高賞)など、1970年代以降の作品は通常の五線記譜法に戻るが、そこには、実験主義的な作品で提起された柔軟で多層的な時間構造が反映されている。バイオリンと笙(しょう)のための『月の変容』(1988)、箏(そう)とオーケストラのための『始源』(1989)など邦楽器のための作品も多数ある。フランス芸術文化勲章(1984)、紫綬(しじゅ)褒章(1999)、サントリー音楽賞(2001)などを受けた。著書に『音を聴く』『音楽という営み』がある。

[楢崎洋子]

 2018年(平成30)に文化勲章受章。

[編集部 2018年11月19日]

『『音を聴く――音楽の明日を考える』(1984・岩波書店)』『『音楽という営み』(1998・NTT出版)』『岩城宏之・一柳慧他著『行動する作曲家たち――岩城宏之対談集』(1986・新潮社)』『水沢勉・矢萩喜従郎編『点在する中心――「創造」をめぐる10の対話』(1995・春秋社)』『日本芸術文化振興会、国立劇場調査養成部芸能調査室監修・編『現代の日本音楽第1集 一柳慧作品』(1999・春秋社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一柳慧」の意味・わかりやすい解説

一柳慧
いちやなぎとし

[生]1933.2.4. 兵庫,神戸
[没]2022.10.7. 東京
作曲家,ピアニスト。実験的かつ前衛的な創作活動や演奏活動で世界の現代音楽界をリードした。チェロ奏者の父,ピアノ教師の母のもとに生まれる。作曲を平尾貴四男,池内友次郎に,ピアノを原智恵子に師事。1949年から 3年連続して毎日音楽コンクールに入賞。1954~57年ジュリアード音楽院に留学,1953年にコープランド賞を受賞するなど,高い評価を受けた。1958年ジョン・ケージとの出会いで衝撃を受け,以後『ピアノ音楽I・II』など,12音技法から離れて偶然性に基づく作品を発表。1961年の帰国後は,ケージらのアメリカ実験音楽を紹介,また図形楽譜を用いるなど前衛的な作曲活動を展開。その後『ピアノメディア』(1972)から五線譜法による作曲に戻り,日本の伝統楽器による作品など,盛んな作曲・演奏活動を行なう。2000~2022年神奈川芸術文化財団芸術総監督。尾高賞,毎日芸術賞のほか,1985年フランス政府より芸術文化勲章,1999年紫綬褒章,2005年旭日小綬章など受賞・受章多数。2008年文化功労者選定。2018年文化勲章受章。著書に『音を聴く』(1984)など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一柳慧」の解説

一柳慧 いちやなぎ-とし

1933- 昭和後期-平成時代の作曲家。
昭和8年2月4日生まれ。平尾貴四男(きしお),池内(いけのうち)友次郎らに師事。昭和24,26年の音楽コンクールで1位となる。27年渡米,ジョン=ケージに傾倒して偶然性の音楽を実践。現代音楽祭などをひらく。のち雅楽や邦楽器をふくむ幅ひろいジャンルの作品を発表。尾高賞4回。平成20年文化功労者。兵庫県出身。ジュリアード音楽院卒。作品に「空間の記憶」「循環する風景」「ベルリン連詩」など。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「一柳慧」の解説

一柳 慧

チェロ奏者の父とピアノ教師の母の一人っ子として、神戸に生まれる。中学より平尾貴四男、池内友次郎に作曲を、原智恵子にピアノを師事。高校生の時、日本音楽コンクール作曲部門にて2度の優勝を果たし、注目を浴び ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典(旧版)内の一柳慧の言及

【コラージュ】より

…事実,こうした呼び方もされることがある。たとえば落語やポピュラー音楽などの素材を重ねている一柳慧の電子音楽《Tokyo1969》はアッサンブラージュの音楽,《乙女の祈り》を引用し,それを断ち切る現代的なスタイルの音楽との交互の展開がみられる松平頼暁のコンボのための《オルタネーション》(1967)は,コラージュ音楽と呼ぶべきかもしれない。【秋山 邦晴】。…

【パフォーマンス】より

…パフォーマンスを行うグループや場所は流動的であり,61年にジョージ・マチューナスGeorge Maciunasがパフォーマンスの専門誌を作るために考え出した〈フルクサスFluxus〉(雑誌は実現しなかった)は,やがて当時のパフォーマーを横断的に結びつける国際的な組織の名になったが,ラテン語で〈流れ〉を意味するfluxusと英語のflux us(われわれを融合する)とをかけたこの語は,当時のパフォーマーの流動的な関係にふさわしいものであった。このことは,ニューヨーク美術界の刺激を受けて活気づいていた〈読売アンデパンダン展〉(日本アンデパンダン展)出品作家たちの活動と,ケージに学んだ一柳慧(いちやなぎとし)や小野洋子らの媒介でしだいに日本にも形成されはじめたさまざまな芸術グループにもあてはまる。ともに1960年創立の〈グループ音楽〉(小杉武久,刀根康尚,塩見千枝子ほか),〈ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ〉(篠原有司男(うしお),吉村益信,風倉省作ほか),62年10月の車中パフォーマンス《山手線事件》や63年5月の街頭パフォーマンス《第一次ミキサー計画》のメンバーによる〈ハイレッド・センター〉(赤瀬川原平,中西夏之,高松次郎ほか)などは,互いに相互関係をもっただけではなく,〈暗黒舞踏〉の土方巽(ひじかたたつみ)や実験映画グループ〈ヴァン映画科学研究所〉(足立正生ほか)などとも,また海外の〈フルクサス〉とも横断的な関係をもった。…

※「一柳慧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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