百科事典マイペディア 「ディッタースドルフ」の意味・わかりやすい解説 ディッタースドルフ オーストリアの作曲家,バイオリン奏者。ウィーン生れ。同地の宮廷歌劇場楽団の一員を務めたのち,1765年−1769年M.ハイドン(F.J.ハイドン)の後任としてグロースバルダイン(現ルーマニアのオラデア)の司教のもとで楽長。その後はウィーンを中心に活躍し,グルック,F.J.ハイドン,モーツァルトとも親交を結ぶ。数多くの交響曲,協奏曲,器楽曲,オラトリオなどを残し,とりわけオペラ・ブッファ(オペラ),ジングシュピールの分野で成功をおさめた。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディッタースドルフ」の意味・わかりやすい解説 ディッタースドルフでぃったーすどるふKarl Ditters von Dittersdorf(1739―1799) オーストリアの作曲家。ウィーンに生まれる。ヒルトブルクハウゼン侯の小姓として音楽教育を受け、1761年ウィーン宮廷楽団に入る。グロースバルダイン司教宮廷楽長を経て、69年より北モラビアのヨハネスベルクにあったシャフゴーチュ伯爵の宮廷楽長となり、73年には貴族の称号を得ている。ヨハネスベルクの小劇場のため多数の作品を書いたが、代表作のオラトリオ『エステル』、オペレッタ『医者と薬剤師』などはいずれもウィーン滞在中に作曲したもの。ボヘミアのノイホーフで世を去っている。[樋口隆一] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ディッタースドルフ」の解説 ディッタースドルフ 12歳でオーストリアの宮廷に入り、そこでヴァイオリンと作曲を学び、ウィーンの宮廷劇場楽団員となった。各地の司教に仕えながらヴァイオリン演奏、作曲を行い、あらゆるジャンルにわたって多くの作品を残した。現 ...続き 出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディッタースドルフ」の意味・わかりやすい解説 ディッタースドルフDittersdorf, Karl Ditters von [生]1739.11.2. ウィーン[没]1799.10.24. ボヘミア,ノイホフオーストリアの作曲家,バイオリニスト。 1761年 C.グルックとともにイタリアへ演奏旅行して成功し,バイオリニストとしての名声を確立。ハイドンとも親交があり,シャフゴッチュ伯の楽長などをつとめたのち,70年黄金拍車賞を受けた。作品はジングシュピール『医師と薬剤師』のほか,多くの交響曲,協奏曲などがある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by