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デュシャン Duchamp, Marcel

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

デュシャン
Duchamp, Marcel

[生]1887.7.28. ブランビル
[没]1968.10.2. ヌイイシュルセーヌ
フランスの美術家。画家ジャック・ビヨン,彫刻家レイモンド・デュシャン=ビヨンの弟。1904年パリへ出てアカデミー・ジュリアンで絵を学ぶ。ポール・セザンヌフォービスムの影響を経て,1912年キュビスムの一派である「セクシオン・ドール(黄金分割)」展に『階段を降りる裸体』(フィラデルフィア美術館)を発表。これは翌 1913年ニューヨークのアーモリー・ショーに出品されて,大反響を呼び起こした。しかし,1913年には絵画を放棄し,ガラスを用いた大作『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁,さえも』(フィラデルフィア美術館)の制作に専心した。1915年渡米,ニューヨークでマン・レイ,フランシス・ピカビアらとダダ的運動を推進。1919~23年パリのダダ,次いでシュルレアリスムの運動に協力する。既製品をそのまま作品とする「レディメード」のオブジェでも知られる。1917年には白い便器を『泉』と題した作品が物議をかもした。また,秘匿していた作品『(1) 落ちる水,(2) 照明用ガスが与えられれば』を没後に発表させるという前代未聞の遺言も話題となった。

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デジタル大辞泉の解説

デュシャン(Marcel Duchamp)

[1887~1968]フランス生まれの画家。ダダイスムの代表者の一人。1915年渡米。既成の絵画の枠を超えた実験的作品を制作する一方、日用品を芸術作品として提出する、いわゆる「レディーメイド」のオブジェを発表。作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁」など。

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百科事典マイペディアの解説

デュシャン

フランス出身の美術家ノルマンディー生れ。1904年パリに赴き,長兄ジャック・ビヨン,次兄レーモン・デュシャン・ビヨンらのキュビスム運動〈セクション・ドール〉に参加。
→関連項目偶然クレールコンセプチュアル・アートポップアートマレーミニマル・アート

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世界大百科事典 第2版の解説

デュシャン【Marcel Duchamp】

1887‐1968
フランス(後年アメリカ国籍)の美術家。フランスのノルマンディーのブランビルに生まれる。数少ない作品とおびただしいメモを残したが,その思想と生き方によって,既成の芸術概念を否定し,とくに第2次大戦後の現代美術に大きな影響を与えた。1904年パリに赴き,長兄ジャック・ビヨンJacques Villon(1875‐1963),次兄レーモン・デュシャン・ビヨンRaymond Duchamp‐Villon(1876‐1918)らの〈セクション・ドールSection d’Or〉というキュビスム運動に参加するが,《階段を下りる裸体No.2》(1912)あたりから,肉体をエロス的機械の運動としてとらえる特異な作品を描きはじめ,同年いくつかの名作をやつぎばやに描いた後,絵を描くことを放棄。

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大辞林 第三版の解説

デュシャン【Marcel Duchamp】

1887~1968) フランスの画家。印象主義・キュービズムなどの影響を受けながらも次第に伝統的絵画を否定し、日用品を芸術作品とする「レディメードのオブジェ」を作る。多様な芸術的試みによって現代芸術に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典内のデュシャンの言及

【オブジェ】より

…その先駆は,未来派の彫刻家ボッチョーニが,1911年,多様な素材を合成して〈生の強度〉に迫るべく,毛髪,石膏,ガラス,窓枠を組み合わせた作品をつくり,ピカソがキュビスムの〈パピエ・コレ(貼紙)〉の延長として,12年以後,椅子,コップ,ぼろきれ,針金を使った立体作品を試みたあたりにある。デュシャンは13年以後,量産の日用品を加工も変形もせず作品化する〈レディ・メード〉で,一品制作の手仕事による個性やオリジナリティの表現という,近代芸術の理念にアイロニカルな批判をつきつけ,ピカビアの〈無用な機械〉と名づけた立体や絵画も,機械のメカニズムをとおして人間や芸術を冷笑した。第1次大戦中におこったダダは,これらの実験を総合し,アルプやハウスマンの木片のレリーフ状オブジェや,シュウィッタースのがらくたを寄せ集めた〈メルツMerz〉,エルンストの額縁に入った金庫のようなレリーフ状作品などで知られる。…

【キュビスム】より

… 〈ピュトー派〉は,11年のアンデパンダン展での大規模な集団展示を皮切りに,波状的な示威運動を続けたが,特に12年の〈セクシヨン・ドールSection d’or(黄金分割)〉展には,ピカソとブラックの創始者を除いて,この造形的傾向に共鳴するほとんどの画家や彫刻家が参加した。おもな出品者は,ビヨン兄弟(J.ビヨン,彫刻家のデュシャン・ビヨンRaymond Duchamp‐Villon(1876‐1918),マルセル・デュシャン),グレーズAlbert Gleizes(1881‐1953),メッツァンジェJean Metzinger(1883‐1957),ピカビア,ラ・フレネーRoger de La Fresnay(1885‐1925),レジェローランサン,マルクーシスLouis Marcoussis(1878‐1941。本名Ludwig Markus),〈洗濯船〉グループのグリス,それに彫刻家のロートAndré Lhote(1885‐1962)らである。…

【ダダ】より

…自発性から生まれるあらゆる神々への絶対で,議論の余地なき信頼,ダダ〉(《ダダ宣言1918》)とあるように,ツァラたちは嫌悪と自発性だけを原理に,あらゆる物質と行為から芸術を再生させようとした。 一方,同じころニューヨークでは,1913年の〈アーモリー・ショー〉に,《階段をおりる裸体》を出品して反響を呼び,17年レディ・メイドの便器(《泉》と題される)を出品して物議をかもしたM.デュシャン,〈無用な機械〉シリーズで知られるマン・レイ,13年写真家スティーグリッツの画廊〈291〉で個展を開き,18年秋チューリヒに赴きツァラと意気投合する反芸術の闘士ピカビア,騒音音楽のバレーズらがダダ的サークルを形づくっていた。 17年1月ベルリンに戻ったヒュルゼンベックは,フォトモンタージュの名人ハウスマンとその恋人ハンナ・ヘーヒHannah Höch(1889‐1978),戦争中排外主義を嫌って英語風に改名した,政治的フォトモンタージュ作家ジョン・ハートフィールドと弟の編集者ウィーラント・ヘルツフェルデ,軍人とブルジョアを風刺する画家グロッス,ざれ歌詩人メーリングらとともに,18年4月〈ベルリン・ダダ〉を結成した。…

【ノンセンス】より

…この常識の枠を組みかえ,〈現実〉を過激な形でずらそうとするねらい(先述の〈ある意図〉)をもった〈しかけ〉はすべて,広義のノンセンスといえる。便器に署名して展覧会に出品したデュシャンや,ピアニストに4分33秒間なにも弾かせないことによって聴衆に〈沈黙〉と〈意図されなかったあらゆる音〉をきかせたJ.ケージなどは,最高のノンセンス芸術家であり,チャップリンやキートンのような無声映画のコメディアンも同様である。 しかし〈現実〉を構成するもっとも重要な要素は言語であるから,当然,言語の合意された意味(センス)や用法をかく乱することがノンセンスの最大の領域となる。…

【レディ・メード】より

…〈既製品〉の意味だが,ダダ時代のM.デュシャンが,一連の量産品に署名しただけのオブジェを〈レディ・メードのオブジェ〉と呼んだことに由来する。ダダやシュルレアリスムのオブジェは,セザンヌからキュビスムをへて20世紀美術に台頭した物体への意識がはっきりと即物的な面であらわれたもので,とくにシュルレアリストたちは,意識下の領域の象徴としてオブジェをとらえようとした。…

※「デュシャン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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