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デュ・ボイス William Edward Burghardt Du Bois

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世界大百科事典 第2版の解説

デュ・ボイス【William Edward Burghardt Du Bois】

1868‐1963
混血のアメリカ黒人運動指導者。ハーバード大学卒業後,アトランタ大学教授(1897‐1910,32‐44)。この間ナイアガラ運動(1905),全米黒人地位向上協会(NAACP)の創立(1909)に参加,黒人の解放とその地位向上に献身。また1900‐45年に6回開催されたパン・アフリカ会議を指導し,パン・アフリカニズムの父と呼ばれた。第2次大戦後は平和運動にも強い関心を示し,50年平和情報センター議長に就任。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のデュ・ボイスの言及

【黒人問題】より

…1867年に最初の黒人大学ハワード大学がワシントンD.C.に創立されて以来,各地に黒人のための大学が生まれ,それらの卒業生が中産階級を築き上げるとともに,19世紀末から第1次大戦へかけて,多くの指導者を育て上げた。タスキーギー大学の創立者で,白人との協調を説いたB.T.ワシントンや,彼の説にあきたらず,より理論的に人種の平等を叫んだデュ・ボイスは,その代表的な存在である。白人リベラルの呼びかけに応じて黒人指導者も参加し,最初の公民権団体ともいうべき全米黒人地位向上協会(NAACP)が創設されたのもこの時期である。…

【パン・アフリカニズム】より

…一般にこの会議の意義は,初めてアフリカ(系)人国際主義を組織化したこと,パン・アフリカという言葉を世に知らせたことなどであるとされているが,ビクトリア女王から〈アフリカにおける原住民諸人種の利益と福祉を無視しない〉との約束を得たことも注目されてよい。その後しばらく運動は低迷したが,第1次世界大戦終結直後の19年にアメリカ合衆国の黒人運動家デュ・ボイスがパリでパン・アフリカ会議Pan‐African Congressを開催した。会議はドイツ領アフリカを国際管理のもとに置くこと,アフリカ人に対する国際的保護の法制度化,アフリカ植民地における漸進的・段階的自治の推進,天然資源の涸渇防止,アフリカ人に対する教育の普及などを求める決議を採択し,これを契機に運動は再び活発化した。…

※「デュ・ボイス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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