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トラシュブロス トラシュブロス Thrasyboulos

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

トラシュブロス
トラシュブロス
Thrasyboulos

[生]?
[没]前388. アスペンズス
古代ギリシアアテネの将軍,政治家。前 411四百人評議会に抗してサモス駐留の海軍に民主政治を樹立させた民主派の指導者。アルキビアデスを召還し,以後の海軍の軍事的成功に寄与するところ大であった。

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世界大百科事典 第2版の解説

トラシュブロス【Thrasyboulos】

?‐前388
前5世紀末から前4世紀の初めにかけてアテナイで活躍した民主派の政治家,軍事指導者。前5世紀末のアテナイに成立した2度の寡頭派政権に対して一貫して反対の立場をとり,とくに前404年のいわゆる三十人僭主の支配に対しては,亡命先のテーバイで同志を組織したのち,彼らを率いて帰国,外港ペイライエウスを占拠して中心市に拠る寡頭派と戦い,これを破って前403年の民主政回復をもたらした。前4世紀初頭のコリントス戦争でも軍事指導者としてぬきんでた働きを示したが,小アジア南岸のギリシア植民市アスペンドスに遠征中,原住民に襲われて死去した。

トラシュブロス【Thrasyboulos】

前600年ころのイオニアミレトスの僭主。生没年不詳。プリュタニスという要職を利用して僭主になり,リュディアアリュアッテスの攻撃をしのぎ,ミレトス市の独立を保った。そして神殿を造り,交易を広げ,植民市を建てた。このとき市の勢いは頂点に達した。またコリントスの僭主ペリアンドロスPeriandrosと深い政治的な友好関係を結んだが,これによって両市の交易活動は促されていったと思われる。トラシュブロスがペリアンドロスに治政の極意を問われ,それに,よく伸びた麦の穂をちぎるという無言のしぐさで答え,それをペリアンドロスは,有力者の粛清と解したという話をヘロドトスが《歴史》に伝えている。

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世界大百科事典内のトラシュブロスの言及

【三十人僭主】より

…こののちクリティアスらの過激派は徹底した反対派抑圧策をとり,そのため多数の市民が国外に逃れた。しかし亡命者たちは反攻の機をうかがい,民主派の領袖トラシュブロスがアッティカ北部の集落フュレーを占拠すると,その下に集まり,ついで外港ピレウスに進撃して寡頭派を破り,クリティアスを戦死させた。過激派はエレウシスに退き,中心市に残った穏健派と民主派との間に妥協が成立して,前403年夏には民主政が回復した。…

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