トリン・T・ミンハ(読み)とりんてぃーみんは(英語表記)Trin T. Min-ha

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリン・T・ミンハ」の意味・わかりやすい解説

トリン・T・ミンハ
とりんてぃーみんは
Trin T. Min-ha
(1953― )

ベトナムで生まれ、アメリカで活躍する映画監督、詩人、作家、作曲家。カリフォルニア大学バークリー校で映画学・女性学の教授も務める。ハノイ生まれ。少女期をサイゴン(現ホー・チ・ミン)で過ごし、ベトナム戦争中の1970年、17歳でアメリカ合衆国へ移住した。イリノイ大学で作曲と比較文学を専攻。1年間、フランスのリセで英語を教えながらソルボンヌ大学で民族音楽を学び、この時期から詩作も開始する。帰国してイリノイ大学で博士課程を修了後、1977~1980年、アフリカセネガルのダカール国立芸術院で音楽を教える。ここでの体験に基づき、アメリカに戻ってからアフリカを題材にした2本のドキュメンタリー映画作品『ルアッサンブラージュ』(1982)と『ありのままの場所』(1985)を16ミリフィルムで製作。これらの作品を特徴づけるのは、反人類学的な人類学的考察、反ドキュメンタリー的なドキュメンタリー映画ともいうべき方法論の採用である。一般に被写体がアフリカなどの「第三世界」に設定されるとき、映画を撮影する「第一世界」の映画作家が、ものを言わぬ被写体に声を与えるなり、彼らにかわって発言する、といった構図が繰り返されてきたが、トリンは、ほかならぬ映画製作の実践の内部からそこに潜む西洋中心主義を告発し、「客観性」を標榜(ひょうぼう)する人類学的なドキュメンタリー映画がいかに作り手の「主観性」に基づいて題材を恣意(しい)的に操作した産物としてあるか、といった点に関して自己言及=内省的な分析を加えつつ作品を構成していった。その後の彼女の映画製作は、「孔子儒教の国」と「毛沢東共産主義の国」に引き裂かれた現代中国に焦点をあてる『核心を撃て』(1991)を間に挟み、自身のアイデンティティとも直接かかわりをもつ、「ベトナムの女性」という主題に収斂(しゅうれん)される。『姓はヴェト、名はナム』(1989)は、ベトナム戦争の悲惨な記憶を背景に置きつつ、それ以前から、そしてそれ以後もベトナムで継続されてきた男性による女性支配についてのコメントがベトナム人女性の口を通して語られるのだが、そのドキュメンタリー調の語りそれ自体が、女優による「演技」であったことが後半になって明らかになり、トリン作品の基調としてある、ドキュメンタリー作品の客観性という神話解体への意志が前面に出る作品である。また、初めて35ミリで撮影された長編劇映画『愛のお話』(1995)では、女性誌の編集や写真のモデルなどで得た収入をベトナムに残る家族へ仕送りし続けるベトナム人女性キェウを通じて、現代アメリカを舞台にした「移民」の体験がつづられる。キェウは、日々の生活においてつねに二つの文化の狭間で生きることを強いられるが、映画では、さらにベトナムの国民的な詩歌「金雲翹(キム・バン・キェウ)」の登場人物である薄幸の女性キェウへの心情的な投影を示唆することで、現代アメリカに生きるキェウの女性としてのアイデンティティのゆらぎにも焦点をあてた。

 以上のような映画の諸作品においても追求されてきた、狭く限定された同一性(アイデンティティ)の概念を解体し、中心―周縁、西洋―非西洋、男性―女性といった階層序列的な二項対立図式の克服をもくろむ視点は、映画製作と並行して執筆が進められてきたトリンの理論的な著作においてさらに綿密に展開されており、『女性・ネイティヴ・他者』Woman, Native, Other(1989)や『月が赤く満ちる時』When the Moon Waxes Red(1991)といった著作は、ポスト・コロニアル状況におけるジェンダーやアイデンティティ、さらには映像をめぐる代表的な著作としての評価を確立させている。

[北小路隆志]

資料 監督作品一覧

ルアッサンブラージュ Reassemblage : From the Firelight to the Screen(1982)
ありのままの場所 Naked Spaces : Living Is Round(1985)
姓はヴェト、名はナム Surname Viet Given Name Nam(1989)
核心を撃て Shoot for the Contents(1991)
愛のお話 A Tale of Love(1995)

『竹村和子訳『女性・ネイティヴ・他者』(1995・岩波書店)』『小林富久子訳『月が赤く満ちる時』(1996・みすず書房)』

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