ド・カンドル(英語表記)Candolle, Augustin Pyrame de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ド・カンドル
Candolle, Augustin Pyrame de

[生]1778.2.4. ジュネーブ
[没]1841.9.9. ジュネーブ
スイスの植物学者。植物の自然分類法を確立した1人として知られる。 1796年パリに行き,G.キュビエ,J.ラマルクと親交を結ぶ。モンペリエ大学植物学教授 (1808~16) 。 1813年『植物学の基礎理論』 Théorie élémentaire de la botaniqueを著わし,植物の分類法に関する理論を展開した。彼は形態の詳細な観察に基礎づけられた分類を志しており,分類の基準として採用する形態的特徴は,その植物の生活にとって意味をもつものでなければならないと主張。彼は植物の生活を栄養と生殖とに2分して考えたが,栄養器官の構造は植物種による差異に乏しく,分類基準として不適当であるため,結果的には生殖器官の形に基づいて分類を行うこととなった。 17年ジュネーブ大学教授となり,同大学付属植物園の初代園長を兼任。ここで彼は分類理論の実践のため,まず植物の体系的な命名法をつくり上げ,次に当時知られていた全種子植物を分類するという事業に着手したが,完成を見ずに没し,息子 (→ド・カンドル ) が引継いで完成させた。彼はまた植物地理学の創始者でもあり,ブラジル (27) ,東インド (29) ,中国 (34) へ調査旅行を行なった。

ド・カンドル
Candolle, Alphonse-Louis-Pierre Pyrame de

[生]1806.10.27. パリ
[没]1893.4.4. ジュネーブ
スイスの植物学者。 A. P.ド・カンドルの息子。ジュネーブ大学教授 (1842~93) 。父が始めた,全種子植物を分類するという仕事を受継いで完成させた。 1867年パリで第1回国際植物学会議が開かれた際,開催のために尽力した。植物の命名法を統一しようという目的で開かれたこの会議で,彼の命名法が採択されたが,実際に植物学者たちによって用いられることはなかった。植物地理学の分野でも活躍し,83年に『栽培植物の起源』 Origine des plantes cultivéesを著わしている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

ド・カンドル

スイスの植物学者。パリで植物学を研究し,ラマルクキュビエらと親交。1816年以降はジュネーブに帰り,博物館などの創設に尽力。全世界の高等植物の植物誌の完成をめざした大著《植物界自然分類体系大全》は生前に7巻が出版され,死後残りの10巻を子のアルフォンスAlphonse〔1806-1893〕が中心になってまとめた。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ド・カンドル
どかんどる
Augustin Pyrame de Candolle
(1778―1841)

スイスの植物学者。ジュネーブに生まれる。同地とパリで教育を受け、パリではラマルクやキュビエらと親交し植物学を研究した。1807年フランスのモンペリエ植物園長、1808~1816年モンペリエ大学植物学教授を務め、この間、『植物学の階梯(かいてい)的理論』を著した。1816年ジュネーブに帰り、1836年までジュネーブ大学教授。ここでは植物の分類に全力を注ぎ、ジュシューの分類体系を引き継ぎ『植物自然分類序説』を刊行し始めたが、7巻までで没した。この間、多くの新種植物を発見し、後の植物分類学に一つの基礎を与え、また分類学を精密な自然科学へと高めた。
 子のアルフォンスAlphonse Louis Pierre Pyrame de Candolle(1806―1893)は父の未完の『植物自然分類序説』全17巻を完成したほか、植物地理学を研究し、各地の栽培植物の起源を調査して、1883年には名著『栽培植物の起源』を著した。ジュネーブ大学植物学教授を務めた。[鈴木善次]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

人望

信頼できる人物として、人々から慕い仰がれること。「人望を集める」「人望を失う」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android