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ドーミエ ドーミエDaumier, Honoré

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドーミエ
Daumier, Honoré

[生]1808.2.20/26. マルセイユ
[没]1879.2.10/11. バルモンドア
フランスの画家,版画家。幼少の頃ガラス職人の父親とともにパリに移る。 1829年頃リトグラフ (石版画) の技術を修得。 30年から『カリカチュール』誌上に政治漫画を発表し,ルイ・フィリップ王を攻撃したため 32年に投獄される。 35年『シャリバリ』紙に舞台を移して,以後 40年間にわたり貴族やブルジョアジーの生態を風刺した。また,水彩画や油彩画に庶民の生活,大道曲芸師,ドン・キホーテ,芝居の場面などを描いた。 78年には視力を失い,極貧のうちに没した。代表作,石版画の連作『ロベールマケール』,油彩画『三等車』 (ニューヨーク,メトロポリタン美術館) 。

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デジタル大辞泉の解説

ドーミエ(Honoré Daumier)

[1808~1879]フランスの画家・版画家。政治・社会を風刺した石版画や、貧しい庶民生活を写実的に描いた油彩画で有名。作「ロベール=マケール」「ドン=キホーテ」など。

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百科事典マイペディアの解説

ドーミエ

フランスの画家,版画家。マルセイユ生れ。デッサンと版画(特に石版画)を独学し,1831年から《カリカチュール》誌に,また1835年から《シャリバリ》紙に時局風刺の石版画を掲載。
→関連項目オルセー美術館カリカチュア写実主義風俗の歴史ミレー

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世界大百科事典 第2版の解説

ドーミエ【Honoré Daumier】

1808‐79
フランスの戯画家,画家,彫刻家。マルセイユで生まれる。父はガラス屋を営んだが,詩人としての成功を夢みてパリに移住した。少年時代は生活のために働きながら絵や石版術を学んだ。ルイ・フィリップを洋梨になぞらえたフィリポンCharles Philipon(1804‐62)が主宰している風刺雑誌《カリカチュール》,《シャリバリ》を舞台に,シャルレNicolas Toussaint Charlet(1792‐1845),トラビエCharles‐Joseph Traviès(1804‐59),ドベリアAchille Deveria(1805‐59)らと共通する様式の石版風刺画家として声価を確立する。

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大辞林 第三版の解説

ドーミエ【Honoré Daumier】

1808~1879) フランスの画家。辛辣しんらつな政治風刺漫画や庶民の生活を写実的に描いた石版画を多く残す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドーミエ
どーみえ
Honor Daumier
(1808―1879)

フランスの画家、版画家。2月26日マルセイユに生まれる。1815年、ガラス工で詩人の父親がペンで身をたてようとパリに出たのをきっかけに、一家は翌年パリに移住。執達吏の給士や本屋の店員として苦労を重ねたのち、画家への道を歩み出す。やがて石版画の技法を習得、30年に『カリカチュール』誌を創刊したシャルル・フィリポンの注目するところとなり、同誌の風刺漫画家として雇われる。彼は数々の辛辣(しんらつ)きわまりない政治風刺画を寄稿したが、国王ルイ・フィリップをガルガンチュアに見立てた作品が官憲の忌諱(きき)に触れ、6か月の投獄の憂き目をみる。しかし彼の名声は一躍高まり、『トランスノナン街』など数々の名作を世に送り出した。35年、出版の自由を制限する法律により『カリカチュール』誌が廃刊に追い込まれると、彼もまた政治風刺から社会風刺に転じ、同じフィリポンの創刊になる日刊紙『シャリバリ』をおもな舞台に、皮肉なユーモアを込めてブルジョアジーを嘲笑(ちょうしょう)し、あるいは慈悲にも似た優しさでつつましい庶民をひやかしもした。48年の二月革命は共和主義者ドーミエの夢を実現させたかにみえた。しかしルイ・ナポレオンが支配力を伸ばし始めると、ふたたび政治風刺に着手、この新たな敵を攻撃すべく、石版画と彫刻とでボナパルト派を象徴する『ラタポワール』を制作した。しかし51年12月、ルイ・ナポレオンが権力を掌握すると、彼の政治活動は再度中止のやむなきに至った。
 彼は生涯に約4000点もの石版画を残したが、油彩画家としても近年高い評価を得ており、記憶と想像力によりながらも、リアリスティックな表現と明暗の巧みな対照によって『洗濯女』『三等列車』『ドン・キホーテ』などを描いた。晩年は盲目同然となり、生計にも苦しんだが、友情に厚いコローの援助でバルモンドアに住居を提供してもらい、79年2月11日、そこで生涯を閉じた。彼は率直鋭利な観察と高い精神性によって写実主義の先駆的地位を占め、ドガやロートレックら近代の画家に大きな影響を与えた。[大森達次]
『R・レー著、大島清次訳『ドーミエ』(1969・美術出版社) ▽R・エスコリエ著、幸田礼雅訳『ドーミエとその世界』(1980・美術出版社)』

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世界大百科事典内のドーミエの言及

【滑稽】より

…意表を突いたり,グロテスク化して得られる滑稽の効果は,文学ではとりわけ風刺やパロディに,演劇では中世の謝肉祭劇や近世の民衆劇,現代の不条理劇に多くみられる。近代絵画ではドーミエが戯画化による滑稽を巧みに用いて人間典型を描き出した。批評機能としての滑稽の要素は,シュルレアリスム絵画やポップ・アートにも認めることができる。…

【写実主義】より

…ロマン主義の一つの帰結として〈芸術のための芸術〉をスローガンとする芸術至上主義がT.ゴーティエによって唱えられたが,シャンフルーリはこれに反対し,芸術はあくまでも人間の実生活を描くことにある,と主張した。この考え方は,批評家の間ではカスタニャリ,デュランティ,シルベストルThéophile Silvestreらに支持され,芸術家としてはクールベ,ドーミエ,ボンバンFrançois Bonvin(1817‐87)らに共鳴者を見いだした。ボードレールは後にこれを〈創造力の欠如〉として批判するが,初期には彼らの主張を大いに支持した。…

【風刺画】より

…さらに死後発表された版画集《戦争の惨禍》で,ゴヤは単にナポレオン軍のスペイン侵略の記録というだけでなく,政治的迫害や腐敗した政府の破局への激昂を風刺版画に吐露した。19世紀のフランスの画家H.ドーミエは週刊誌《カリカチュール》や新聞《シャリバリ》で彼の憎悪する国王,政治家,軍人,法曹界への風刺の手を休めず,読者の喝采を浴びた。当局の検閲が厳しくなると風俗版画(《青鞜運動》など)に主力を置く。…

※「ドーミエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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