ナルバエス(読み)なるばえす(英語表記)Ramón María Narváez

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナルバエス」の意味・わかりやすい解説

ナルバエス
なるばえす
Ramón María Narváez
(1800―1868)

スペイン軍人政治家カルリスタ戦争における活躍で陸軍准将(1836)になり、その後政界に入る。初めは進歩派に近い立場をとっていたが、エスパルテロと対立して穏健派に移った。エスパルテロの摂政(せっしょう)期には亡命し、1843年のクーデター成功ののちは穏健派の指導者的存在となる。1844年以降68年まで、途中2年間の進歩派政権、オドンネルの5年にわたる政権などを挟んで、数次にわたって政権を担当した。政策の特徴は、行財政のうえでも、治安の面でも、国家を強化するところにあり、ヨーロッパ全体を襲った1848年革命をスペインで防止する一方、カルリスタ蜂起(ほうき)の鎮圧にも力を振るう。また教会財産の没収で悪化したローマ教皇庁との関係を修復した。長期にわたる政権は政治腐敗をもたらし、反穏健派の運動が高揚するなかで、1868年4月23日死去。彼は、「統治とは革命を阻止することである」との信念をもってイサベル体制を支えた中心的存在であり、彼の死から5か月後にイサベル王政は倒れた(九月革命)。

[中塚次郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「ナルバエス」の意味・わかりやすい解説

ナルバエス
Ramón María Narváez
生没年:1800-68

スペインの軍人,政治家。バレンシア公。アンダルシアの名門の出。15歳で軍隊に入り自由主義の影響を受け,第1次カルリスタ戦争での活躍で,1836年陸軍少将に昇進し,38年代議士に初当選。自由主義勢力の中で進歩派のエスパルテロ将軍に対抗する穏健派の中心人物となる。同年秋セビリャで蜂起し政権を要求したが,逆に進歩派の名声が上がり,フランスへ亡命。40年エスパルテロの蜂起で摂政マリア・クリスティナが追放されると,フランスで反エスパルテロ陰謀を画策し,43年バレンシアに上陸,クーデタを宣言してマドリード入城,エスパルテロ軍を破った。44年首相就任以来,5度組閣(1844-46,47-51,56-57,64-65,66-68)。45年憲法制定。48年革命のスペインへの波及を恐れ,急進的な自由主義改革の停止とブルジョア支配層の固定化をはかった。一方では財政改革,鉄道事業など上からの近代化による権威主義的政策を展開し,オドンネル将軍とともにイサベル2世時代の支柱となった。68年,その死によって反動的独裁が終わり,共和革命が成功した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナルバエス」の意味・わかりやすい解説

ナルバエス
Narváez, Panfilo de

[生]1478頃. スペイン,バリャドリド
[没]1528.11. メキシコ湾
スペインの植民地役人,探検家。若い頃軍隊に入り,1498年頃新大陸へ渡り,1511年ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルのキューバ征服に参加した。1520年,メキシコの支配者エルナン・コルテスを逮捕するためメキシコへ派遣されたが,逆に捕虜となった(→メキシコ史)。1526年フロリダ総督に任命された。1528年フロリダ半島探検に出発したが,帰途メキシコ湾で行方不明となった。

ナルバエス
Narváez, Luys de

16世紀スペインのビウェラ奏者,作曲家。ギターに似た楽器ビウェラの名手として国王フェリペ2世に仕え,1538年ファンタジアや変奏曲を含むビウェラの曲集を出版した。

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百科事典マイペディア 「ナルバエス」の意味・わかりやすい解説

ナルバエス

スペインの軍人,政治家。バレンシア公。カルリスタ戦争でイサベル2世を支持,のちエスパルテロの独裁に対する軍の反乱を組織して成功した。1844年以後5回組閣。1845年反動的憲法を制定して独裁的政治を行い,摂政マリア・クリスティナ派と対立した。

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367日誕生日大事典 「ナルバエス」の解説

ナルバエス

生年月日:1800年8月4日
スペインの軍人政治家
1868年没

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世界大百科事典(旧版)内のナルバエスの言及

【スペイン】より

…続く穏健派政府は,成年に達したイサベル2世治下の政局の安定を目ざして,数々の近代化政策に着手していった。44年に政権を握った穏健派の領袖ナルバエス将軍は,翌45年,憲法を発布するとともに,治安警察Guardia Civilの創設(1844)をはじめ中等教育の制度化,近代的行政官僚機構の設置などの中央集権化政策を徹底させ,さらに進歩派の時代に亀裂が生じたローマ教皇庁との間にコンコルダートを結び(1851),関係の修復にも努めた。また,後にスペイン社会の重要問題となる,地方ボスをはじめとする寡頭支配(カシキスモcasiquismo)の基盤が形成されていったのもこの頃である。…

※「ナルバエス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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