日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネフェルティティ」の意味・わかりやすい解説
ネフェルティティ
ねふぇるてぃてぃ
Nefertiti
生没年不詳。古代エジプト第18王朝の10代目の王イクナートン(アメンヘテプ4世)の妃。その名は「美女はきたりぬ」を意味する。王とは血縁関係(たぶん従妹(いとこ))にあった。王が即位とともに新宗教アトン信仰を唱えたとき、最初の熱烈な信者となった。その美しさは新宗教の布教に一つの役割を果たした。王との間に6人の王女をもうけた。このうち第2王女マケトアトンは夭逝(ようせい)し、第1王女メリトアトンはセメンクカラ王の妃となり、第3王女アンケセンパートンはツタンカートン(後のツタンカーメン)と結婚した。熱烈なアトン信者であったネフェルティティは、王が晩年にテーベとの和解に乗り出したときこれに反対し、ために王妃の座を追われ、アマルナの北の宮殿に孤独の信仰の日々を送った。彼女は王よりあとまで生きたようである。ベルリンのエジプト博物館にある彼女の彩色胸像は彼女の美を伝えるものとして著名である。
[酒井傳六]