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ノボクズネツク Novokuznetsk

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ノボクズネツク
Novokuznetsk

1931年までクズネツク Kuznetsk,31~32年ノボクズネツク,32~61年スターリンスク Stalinsk。ロシア中部,西シベリア南部,ケメロボ州の都市。州都ケメロボの南南東約 200km,コンドマ川がトミ川に合流する地点に位置する。 1617年トミ川右岸に建設されたが,長い間小集落にすぎなかった。ロシア革命後の第1次5ヵ年計画に基づき,1929年左岸に製鉄所が建設されてから急速に発展し,現在クズバス (クズネツク炭田) 重工業地帯の最大の都市となっている。鉄鋼のほか,合金,アルミニウム,化学,重機械,木材加工などの工業が立地し,近郊では大規模な採炭が行われている。冶金大学,教育大学,郷土博物館,人形劇場などがある。アスタナ (カザフスタン) -タイシェト間のシベリア横断鉄道が通り,ハイウェーが分岐する。人口 54万7885(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

ノボクズネツク

ロシア中南部,クズネツク炭田にある工業都市。冶金,アルミニウム,化学,機械などの工業が行われる。1617年創設。1930年代から近代工業都市として急速に発展。1932年―1961年スターリンスクと呼ばれた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ノボクズネツク【Novokuznetsk】

ロシア連邦中南部,ケメロボ州南部の工業都市。オビ川支流のトミ川の両岸にまたがる。1622~1931年グズネツク・シビルスキー,1931~32年ノボクズネツク,1932‐61年の間スターリンスクStalinskと呼ばれた。人口59万8000(1993)。1617年に建設された砦にはじまる。1932年に冶金コンビナートができてソ連の冶金工業の一中心となり,第2次世界大戦期の防衛産業の支えとなった。60年代に大規模なアルミニウム工場,鉄冶金工場ができた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ノボクズネツク
のぼくずねつく
Новокузнецк Novokuznetsk

ロシア連邦中部、ケメロボ州の都市。1622~1931年の名称クズネツク・シビルスキー、1931~32年の名称ノボクズネツク、1932~61年の名称スターリンスク・クズネツクСталинск-Кузнецк/Stalinsk-Kuznetsk。西シベリアのオビ川支流トミ川の上流に、アバ川とコンドマ川が合流する地点のトミ川両岸に位置する。人口56万2800(1999)。クズネツク炭田(クズバス)にあるロシア屈指の冶金(やきん)工業都市で、1932年にクズネツク冶金コンビナートが鉄鋼生産を開始し、さらに60年代に西シベリア冶金工場が建設された。そのほかアルミニウム精錬、鉄合金、石炭採掘、機械製造(おもに鉱業用)、建設資材、化学・薬品、軽工業、食料品などの工業が盛ん。諸研究所(水力採炭、冶金)、単科大学(冶金、教育)、劇場、博物館、美術館などもある。
 市の起源は1617年にアバ人(現在のショーレツ人)の住地に建設されたクズネツク柵(さく)(要塞(ようさい))で、22年に市となった。当時アバ人は鉄器の鍛冶(かじ)を特技としたのでロシア人は彼らをクズネツ(ロシア語で鍛冶屋の意)とよび、それが地名にもなった。工業が勃興(ぼっこう)したのは、第一次五か年計画(1928~32)で、マグニトゴルスク(鉄鉱山、製鉄所)と組んでウラル‐クズバス・コンビナートを構成してからであるが、いまは地元のゴルナヤ・ショリヤ産とハカシア産、およびカザフスタン共和国のソコロフ・サルバイ産の鉄鉱石を使う。[三上正利]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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