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アメリカの小説家、批評家。オハイオ州の印刷屋に生まれ、独学で文学を学んだ。ロシア文学からイタリアやスペインの文学まで広くヨーロッパの文学に親しみ、リアリズムをアメリカの文学風土に育成することに努めた。オースティンの文学をリアリズムの頂点と高く評価し、トルストイのキリスト教的な博愛思想の影響を強く受けた。初めボストンで、ついでニューヨークで活躍した。『アトランティック・マンスリー』誌の主筆を経て『ハーパーズ・マガジン』誌の主筆となり、評論活動などで多くの若い作家たちを育てることに貢献するとともに、自らも『ありふれた事件』(1882)、『サイラス・ラパムの出世』(1885)、『新興成金の奇禍』(1890)など多くの長編小説を発表。手法の面では性格描写にリアリズムを確立すべく努力しつつ、アメリカが前例のない民主主義の社会であるから、文学もまたそのような社会との関連で考えられなければならないとした。したがって、評論『批評と虚構』(1891)ではオースティンの家庭小説を高く評価する一方、天才といえどもその狂気で大衆を毒することは許されるべきではないとして、ゲーテを激しく非難した。家庭や倫理を重視したハウェルズ文学は、大衆社会における芸術家のあり方に問題を投げかけるものでもあった。
[後藤昭次]
アメリカの小説家,批評家。マーク・トウェーン,ヘンリー・ジェームズとともに19世紀アメリカ・リアリズム文学を代表する。オハイオ州に生まれ,父の印刷所で活字を拾いながら文学修業を積み,1865年,あこがれの東部文壇の中心ボストンに出て,中西部出身者としては初めて東部を代表する雑誌《アトランティック・マンスリー》の編集長となった。生涯に35の長編を含む膨大な作品を発表するとともに,有力な批評家としても重きをなし,リアリズム文学のために論陣を張った。また新しい海外文学の紹介や,スティーブン・クレーン,ノリスなど後進作家の育成にも力を注いだ。代表作は,離婚を扱った《卑近な事例》(1882),実業家の倫理的責任を問うた《サイラス・ラパムの向上》(1885),《新興成金の賭》(1890),評論集《批判と小説》(1891)など。一時は,ミドルネームどおり,〈アメリカ文学のディーン(学部長)〉とさえいわれたが,現在では,リアリズム文学の確立に彼なりに努力したことは認められるにしても,結局は,旧来の〈お上品な伝統〉の擁護者だったのではないかと,その限界が指摘されるようになった。
執筆者:渡辺 利雄
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…彼の最高傑作《ハックルベリー・フィンの冒険》(1885)は,自由と秩序,自然と文明などのアメリカ的テーマを集約しつつ無垢(むく)な少年の運命を語り,のちにヘミングウェーをして〈すべての現代アメリカ文学は《ハックルベリー・フィン》という1冊の本に由来する〉と言わしめた。 リアリズム全盛時代の文壇の大御所はW.D.ハウエルズである。彼は《アトランティック・マンスリー》誌の編集者などとしてトウェーンやH.ジェームズらの作品を世に送り出したばかりか,ノリス,S.クレーンなどの若い作家の育成にも努めた。…
※「ハウエルズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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