ハルゼー(英語表記)Halsey, William F., Jr.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハルゼー
Halsey, William F., Jr.

[生]1882.10.30. ニュージャージー,エリザベス
[没]1959.8.16. ニューヨーク,フィッシャーアイランド
アメリカ合衆国の海軍軍人。フルネーム William Frederick Halsey, Jr.。1904年海軍兵学校卒業。第1次世界大戦では駆逐隊を指揮し,1938年に海軍少将,1940年に中将。1941年12月太平洋戦争開戦直前,航空母艦 (空母) 『エンタープライズ』を基幹とする高速空母攻撃隊を指揮,同 1941年12月8日の真珠湾攻撃の際にはハワイの西方海上にあって,奇襲を免れた。1942年4月ジェームズ・H.ドゥーリトル中佐指揮下の B-25爆撃機 16機による東京その他日本本土空襲を成功させた(→ドゥーリトル空襲)。1942年10月18日以降南太平洋海域司令官を命じられ,1944年9月には新型空母,改造軽空母を主力とする第3艦隊の司令官となり,フィリピン反攻作戦を指揮した(→レイテ湾海戦)。1945年5月下旬沖縄戦の途中から指揮官となり,日本の降伏まで第一線艦隊の司令長官たる栄誉を担った。1945年海軍元帥となり,1947年退役。

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百科事典マイペディアの解説

ハルゼー

米国の海軍大将。ニュージャージー州エリザベスで海軍中尉の息子として生まれた。一族には船乗りや冒険家が多い。1904年海軍兵学校を卒業,以後20年余駆逐艦で洋上勤務についた。1932年大佐のまま海軍大学校に入り,翌年さらに陸軍大学校に入学。1934年には52歳でパイロットの訓練も受けた。1941年海軍中将として太平洋艦隊空母部隊を指揮,11月末空母エンタープライズを率いてパール・ハーバーを出港後に日本軍の奇襲(真珠湾攻撃)を知り,急遽戻ってその惨状を目のあたりにした。更迭されたキンメル提督の後任ニミッツの下で,1942年初の東京空襲を企て,4月18日2隻の空母を指揮して日本沿岸600マイルに迫り,ドゥリトル陸軍中佐以下の乗ったB-25中距離爆撃機16機を発進させ爆撃を敢行した。同年海軍大将になり,1944年,史上最大の海戦となったレイテ湾海戦で第3艦隊司令長官として機動部隊を指揮,日本艦隊を撃破した。1945年6月沖縄に進攻,7月からは日本本土への攻撃に参加,8月15日に戦争が終結すると,9月2日にミズーリ艦上で行われた日本降伏文書調印式に立ち会った。ハルゼーはその勇猛果敢な作戦指揮で雄牛Bullの異名をとったが,1947年退役した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ハルゼー Halsey, William Frederick

1882-1959 アメリカの軍人。
1882年10月30日生まれ。海軍大将。昭和17年東京をはじめて空襲,19年レイテ島海戦では第三艦隊司令長官として日本の連合艦隊を撃破,以後日本本土爆撃などを指揮した。1959年8月16日死去。76歳。ニュージャージー州出身。

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世界大百科事典 第2版の解説

ハルゼー【William Frederic Halsey】

1882‐1959
アメリカの海軍大将。ニュージャージー州エリザベスの生れ。ニミッツ太平洋艦隊司令長官の下で,1942年空母部隊を率いて東京を初めて空襲(ドゥリトル東京空襲),44年のレイテ湾海戦では第3艦隊司令長官として機動部隊を指揮,日本艦隊を撃破し,以後沖縄進攻,日本本土攻撃等においても戦果を収めた。とくに勇猛果敢な作戦指揮で雄牛Bullの異名をとった。47年に退役し,51‐57年国際電気通信研究所長を務める。【田尻 正司】

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