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バチカン公会議 バチカンこうかいぎVatican Councils

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バチカン公会議
バチカンこうかいぎ
Vatican Councils

バチカン宮殿で開かれたカトリック教会の最近の2回の世界教会会議。 (1) 第1回 教皇ピウス9世が 1868年に招集,69年開会。 70年ピエモンテ軍のローマ占領で中断。東方正教会プロテスタントは招聘されたが不参加。ドイツ,フランス,イギリス国内には開催に反対する者が多かった。教皇不謬性をめぐって激論がたたかわされ,当時の世相に刺激された多数派司教が,70年に不謬性をドグマとして可決,これに反対した少数派の一部が,中欧に古カトリック教会を組織した。 (2) 第2回  1959年ヨハネス 23世が立案,62年開会。全世界の司教が参集,東方正教会,プロテスタント諸教会もオブザーバーを派遣した。途中ヨハネスの死後,教皇パウルス6世が遺志を継ぎ,65年に終結した。従来の法制的教会観に対して,聖書中心の神の民,聖霊の教会という面を強調,教皇庁の中央集権化を是正,ギリシア正教との和解などを目指す教会一致の精神を打出し,現代世界に対して積極的姿勢をとり,協調しようと努力した。そのための教会改革案,典礼,制度刷新などを目指した憲章,教令,宣言などを採択した。

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百科事典マイペディアの解説

バチカン公会議【バチカンこうかいぎ】

(1)第1。1869年ローマ教皇ピウス9世が召集。教皇首位権,不可謬(ふかびゅう)性など信仰上重大な決定を行ったが,1870年イタリア統一運動によるローマ占領で休会となった。
→関連項目教会合同ラーナー

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世界大百科事典 第2版の解説

バチカンこうかいぎ【バチカン公会議】

ローマのサン・ピエトロ大聖堂で19世紀後半に開催された史上第20回目の公会議と,20世紀後半に開催された第21回公会議との二つがある。(1)第1バチカン公会議(1869‐70) 1864年12月に近代諸思想糾弾のシラブスSyllabus(誤謬表)を公表する直前ごろから,ピウス9世みずから〈近代諸思想の害毒に効果的治療手段を提供するため〉秘密裏に準備し,65年3月準備委員会を設置,67年6月公表,68年6月召集した公会議。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バチカン公会議
ばちかんこうかいぎ

バチカンVaticanで開催された二度のカトリック教会の公会議。[梅津尚志]

第一バチカン公会議

第20回公会議。教皇ピウス9世(在位1846~78)により招集され、1869年より翌70年にかけて開かれた。トリエント公会議以来300年ぶりに開かれたこの公会議は、その間に著しい発展を遂げたヨーロッパ近代文化・思想に対して、教会の立場を明確にすることを任務とした。信仰憲章「デイ・フィリウス」においては、極端な合理主義を時代の誤謬(ごびゅう)として排斥し、カトリック信仰の基本的立場を明示した。憲章「パストール・エテルヌス」では、教皇の首位権と不可謬性を宣言した。プロイセン・フランス戦争勃発(ぼっぱつ)により会議は中断され、閉会宣言のないまま、事実上1870年で終了した。[梅津尚志]

第二バチカン公会議

第21回公会議。教皇ヨハネス23世(在位1958~63)により1962年に開会、パウルス6世(在位1963~78)に引き継がれて、65年に終了。第一バチカン公会議が近代的諸思想との対決の姿勢を強く打ち出したのと対照的に、「時代への適応」(アジョルナメント)を課題としたところに特質がある。「現代世界における教会」「神の啓示」「教会」「典礼」の四憲章をはじめ、「マスコミ」「エキュメニズム」等に関する九教令、「信教の自由」等に関する三宣言を発し、現代世界の、戦争と平和、富と貧困などの問題を教会も自らの問題として背負い、また、他宗教、他宗派、他思想への開かれた教会であることを目ざした。現在のカトリック教会は、この公会議の方向の延長上にある。[梅津尚志]

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世界大百科事典内のバチカン公会議の言及

【ウルトラモンタニズム】より

…近代国民国家の成立とそれに結びついた地域主義,自由主義,世俗主義などの台頭に対して,カトリック知識人が示した教会の統一と権威を求める傾向の表現であった。すなわちガリカニスムジャンセニスム,フェブロニアニズム(ホントハイムJ.N.von Hontheimがフェブロニウスの名で表明した立場で,教皇は教会会議に従属すべきだとする),ヨーゼフ2世の宗教政策などの各国教会の独自性を主張する動きと対立するもので,とくに第1バチカン公会議では教皇の不可謬性に関する定義が発布されるように強く働きかける運動をした。広い意味では,ベルギー,ドイツなど一部キリスト教政党の傾向についても使われた。…

【教皇権】より

…14世紀のアビニョン捕囚と対立教皇間の大分裂(1378‐1417)は,教皇権への信用を失墜させたが,その解消に一役を買った公会議至上主義は,フェラーラ・フィレンツェ公会議(1438‐45)により破棄された。教皇権はその後,宗教改革者や啓蒙主義者からの攻撃もあって,トリエント公会議(1545‐63)と第1バチカン公会議(1869‐70)により組織的に明確にされ,その司教団との関係も,第2バチカン公会議(1962‐65)により,教皇はキリストの代理者として全教会の上に最高完全の権能を有し,それを単独で自由に行使することも,司教団の頭として司教団とともに行使することもできる(教会憲章22)という形で,補足説明された。教皇【青山 玄】。…

【キリスト教】より

…H.S.デニフレ,H.vonバルタザール,K.ラーナー,H.キュンクら,現代のカトリック神学者の多くが,宗教改革の研究,プロテスタント神学との対話,信仰の実存論的解釈などを行っている。第2バチカン公会議は1962‐65年に開かれ,出席者2800名におよぶ史上最大のものとなり,プロテスタント側のオブザーバーもこれに加わった。その間,教皇パウルス6世がエルサレムでユダヤ人を前に説教したこと,また会期の終りに,かつて東方正教会に投げた破門状を破棄したことは,象徴的とはいえ歴史に記録されるできごとであった。…

※「バチカン公会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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