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バドリオ バドリオ Badoglio, Pietro

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バドリオ
バドリオ
Badoglio, Pietro

[生]1871.9.28. グラツァーノ,モンフェラート
[没]1956.11.1. グラツァーノ,モンフェラート
イタリアの軍人,政治家。砲兵隊に入り,イタリア=エチオピア戦争 (1893~96) ,イタリア=トルコ戦争 (1911) に参加,第1次世界大戦では休戦交渉のイタリア側代表。戦後の 1919~21,25~28,33~40年は参謀総長をつとめたが,22年 B.ムッソリーニローマ進軍に反対したため,24~25年ブラジル大使に左遷され,その後態度を変えたため 25年帰国,元帥に昇進,参謀総長に復帰。

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デジタル大辞泉の解説

バドリオ(Pietro Badoglio)

[1871~1956]イタリアの軍人。1925年から1940年にかけて陸軍参謀総長を務めたが、ムッソリーニと対立して辞任した。ムッソリーニ失脚後の1943年に首相となり、連合国と休戦、対独宣戦。ローマ解放後、首相を辞任した。

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百科事典マイペディアの解説

バドリオ

イタリアの軍人。第1次大戦に活躍,戦後参謀総長,元帥。イタリア・エチオピア戦争では遠征軍司令官。第2次大戦初期はイタリア軍総司令官。1943年ムッソリーニ失脚後首相となり臨時政権を組織,連合国と休戦協定を結んだ。
→関連項目第2次世界大戦

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世界大百科事典 第2版の解説

バドリオ【Pietro Badoglio】

1871‐1956
イタリアの軍人,政治家。第1次世界大戦に中佐で前線指揮に当たり,戦功で中将にまで昇進。カポレットの大敗(1917年10月)後,戦線立て直しのため最高司令部副長官に抜擢(ばつてき)され,イタリア軍を勝利に導く。その後,陸軍参謀総長,ブラジル大使,総合参謀本部長官を経て,1926年元帥となる。次いでリビア総督(1929‐32)となり,原住民ゲリラ的抵抗を徹底的に弾圧してリビアに対する支配を固めた。イタリア・エチオピア戦争(1935‐36)で総司令官としてエチオピアを征服,エチオピア副帝の称号を得る。

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大辞林 第三版の解説

バドリオ【Pietro Badoglio】

1871~1956) イタリアの軍人。陸軍参謀総長などを務め、1943年ムッソリーニ失脚のあと首相となり、連合軍と休戦協定を結んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バドリオ
ばどりお
Pietro Badoglio
(1871―1956)

イタリアの軍人、政治家。第一次世界大戦末期に陸軍参謀長代理として軍の再建に功績をあげ、戦後参謀長になり(1919~1921)、その後元帥に昇任(1926)。ファシズム体制下で陸軍参謀長(1925~1927)、統合参謀本部長官(1927~1940)を務める。この間ブラジル大使(1923~1925)、リビア総督(1928~1933)を歴任し、エチオピア遠征に総司令官として参加(1935~1936)、勝利のすえエチオピア総督になる(1936)。エチオピア侵略に対してもスペイン内戦への介入にも個人的には批判的であったバドリオは、第二次世界大戦へのイタリアの参戦に最初反対した。しかし1940年6月の参戦とともに総司令官になり、ギリシア作戦の失敗後、同年12月辞任。1943年7月国王と共謀して反ムッソリーニ・クーデターを起こし、臨時政府を樹立して同年9月連合国に無条件降伏した。翌1944年6月連合軍によるローマ解放まで首相の地位にあった。[重岡保郎]

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世界大百科事典内のバドリオの言及

【イタリア・エチオピア戦争】より

…国際連盟はイタリアに経済制裁を課したが,ほとんど効果の伴わないものだった。イタリア軍は緒戦の勝利のあと,総司令官をデ・ボーノから軍部の切札バドリオ将軍に代え,第1次大戦以後に開発された近代兵器を駆使しての総合作戦を展開した。エチオピア側は軍事力に劣りながらもラス(地方豪族)間の連携をとってイタリア軍を分断し,よく抗戦した。…

【トリアッティ】より

…第2次大戦中はモスクワからのラジオ放送でイタリア国民に抵抗を呼びかけ,連合軍と反ファシズム諸勢力によって南イタリアが解放されたあとの44年3月,ほぼ18年ぶりに帰国した。 この時期,反ファシズム諸政党で構成する国民解放委員会と国王・バドリオ政権との間の対立が深まっていたが,トリアッティはバドリオへの協力を表明して,同年4月諸政党の参加したバドリオ政府の成立をもたらし,みずからも入閣した。サレルノ転回とよばれるこの事件は,以後のレジスタンス闘争の展開に一定の枠組みを与えることになった。…

【ファシズム】より

…ムッソリーニの逮捕に際して,当時400万を数えたファシスト党員からは何の反応も起こらなかった。P.バドリオ元帥が新首相に任命され,ファシスト党,ファシズム大評議会,特別裁判所などファシズム的諸制度は廃止された。しかし,国家機構や行政機関はそのまま維持された。…

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