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バビロフ Nikolai Ivanovich Vavilov

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大辞林 第三版の解説

バビロフ【Nikolai Ivanovich Vavilov】

1887~1943) ソ連の遺伝学者・育種学者。世界各地を調査旅行し、栽培植物の起源、植物の変異性、耐病性、免疫性などを研究。ルイセンコとの論争で失脚し逮捕されて獄死。死後名誉回復。

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百科事典マイペディアの解説

バビロフ

ソ連の植物育種学者,遺伝学者。モスクワの農業大学卒業。レニングラード応用植物研究所長として,農業,特に育種事業に貢献。のちソ連農業アカデミー総裁となる。この間,世界各地へ調査探検に赴き,栽培植物の起源明らかにする。
→関連項目バビロフ

バビロフ

ソ連の物理学者。N.I.バビロフの弟。モスクワ大学卒,革命後モスクワ大学教授,1932年レーベデフ物理学研究所長,1945年ソ連科学アカデミー会長。光学特にルミネセンスを研究,蛍光分析を発展させ,各種の蛍光灯を発明。

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世界大百科事典 第2版の解説

バビロフ【Nikolai Ivanovich Vavilov】

1887‐1943
ソ連の遺伝・育種学者であるが,博学で農学者,植物学者,植物地理学者でもあった。モスクワ農業大学卒。1917年サラトフ大学の農学部教授となり,作物学・遺伝学講座を担当する。後,応用植物学研究所,育種学研究所など多くの研究所長や農業科学アカデミーの総裁となる。農耕にかかわる考古学,民俗学,文化史,植物地理などに強い関心をもち,22の外国語に通じたという。世界各地への探検は180回(国内140回,国外40回で65ヵ国)に及んだ。

バビロフ【Sergei Ivanovich Vavilov】

1891‐1951
ロシア~ソ連の物理学者。モスクワの生れ。モスクワ商業学校からモスクワ大学に進み,P.N.レーベデフの研究室でP.P.ラザレフの指導を受けた。1913年,多色光源の光度測定法に関する最初の科学論文を発表,翌年には,光と熱によって生ずる変色の本質的な差異についての発見を発表した。帝政ロシア文部大臣に反抗したため,第1次世界大戦が始まると徴兵され,技術部隊で働いたが,18年の除隊後再びラザレフの指導する物理学と生物物理学の研究所で光ルミネセンス物理光学の研究を始めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バビロフ
ばびろふ
Николай Иванович Вавилов Nikolay Ivanovich Vavilov
(1887―1943)

ソ連の植物遺伝・育種学者。モスクワ生まれ。1906年モスクワ農業大学に入学。初期の研究は植物の免疫性、耐病性、耐病性品種の育成にあった。のちに、世界各地の野生および栽培植物の収集、研究をもとに、種や属が異なっていても互いに似た遺伝的変異がおこるとする「遺伝的変異の相同系列の法則」(1920)、また、植物を大きな分類群から順次小さな群に、さらに遺伝的変異の構成別に細分し、その結果から植物の変異型の分布地図を作成する「植物地理的微分法」を確立した。さらに多様な変異が集中している地方を種や変種の起源中心地とし、中心地には優性形質をもつ起源植物が、そこからの遠隔地には劣性形質をもつ変異系統植物が多いとする『栽培植物の起源中心地』(1926)を発表、栽培植物の発祥地を七大中心地に分けた(1940)。バビロフ記念全ソ連植物栽培研究所(サンクト・ペテルブルグ)で栽培植物の収集、維持が図られてきた。[柳下 登]
『N・I・ヴァヴィロフ著、中村英司訳『栽培植物発祥地の研究』(1980・八坂書房)』

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世界大百科事典内のバビロフの言及

【ルイセンコ論争】より

…政治的な面にかんしてはルイセンコ派と通常の生物学者のあいだの敵対はいっそう深刻であった。とくに第2次大戦後になって,ソ連の指導的生物学者であり,反ルイセンコ派の支柱であったバビロフN.I.Vavilovの獄死(1943)が伝えられる一方,48年の農業アカデミー総会における論争を機に,反ルイセンコ派の生物学者が大量に追放されたことが明らかになるにいたって,ソ連国外の生物学者たちは激しい抗議の声をあげることになった。日本においても47年以後,主として民主主義科学者協会系の生物学者によってルイセンコ学説が好意的に紹介されはじめた。…

【栽培植物】より

…たとえば新大陸発見後のかなり短い期間に,新大陸産のトウモロコシ,ジャガイモ,インゲンマメ,トウガラシ,タバコなどが旧大陸に広く導入され,またコムギ,オオムギ,エンドウ,コーヒーノキなど多くのものが新大陸においても栽培されるようになった。 栽培植物の起源に関する研究は,ソ連の育種学者であるN.I.バビロフによってさらに発展をみた。これは1926年に出版された重要な論文《栽培植物の起源の中心地Tsentry proiskhozhdeniya kul’turnykh rastenii》の中にまとめられている。…

【農学】より

…土壌肥沃度,単一土壌形成,牧草輪作体系などを中心として研究を展開したV.R.ウィリヤムス(1863‐1939)も土壌学者であり農学者であった。また果樹の品種改良を中心に,独自の方法を開発した園芸育種家I.V.ミチューリン(1855‐1935)の存在も見落とせず,さらに栽培植物の起源を問い,世界各地から栽培種,野生種を収集した遺伝学者N.I.バビロフ(1887‐1943)は,旧ソ連が現在保有する豊富な遺伝資源の礎を築いている。ただ若き日には優れた〈植物生育発展段階説〉を提唱したT.D.ルイセンコ(1898‐1976)が,一方でメンデリズムを否定し,さらに農学研究を忘却して政治的に動いたのは残念であった。…

【ルイセンコ論争】より

…政治的な面にかんしてはルイセンコ派と通常の生物学者のあいだの敵対はいっそう深刻であった。とくに第2次大戦後になって,ソ連の指導的生物学者であり,反ルイセンコ派の支柱であったバビロフN.I.Vavilovの獄死(1943)が伝えられる一方,48年の農業アカデミー総会における論争を機に,反ルイセンコ派の生物学者が大量に追放されたことが明らかになるにいたって,ソ連国外の生物学者たちは激しい抗議の声をあげることになった。日本においても47年以後,主として民主主義科学者協会系の生物学者によってルイセンコ学説が好意的に紹介されはじめた。…

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