改訂新版 世界大百科事典 「バランガイ」の意味・わかりやすい解説
バランガイ
barangay
フィリピン群島がイスラム化,スペイン化を被る以前にこの地域に存在した社会組織。フィリピン群島の南部,スールー諸島やミンダナオ島の一部は,14~16世紀にイスラム化を受け,その過程でスルタン制度の部族国家が成立した。またルソン島,ビサヤ諸島は16世紀後半にスペインの植民地支配を受け,統一的な政庁統治下に置かれた。しかし,こうしたイスラム化,スペイン化以前のフィリピンには,国家や統一的な政治支配はみられず,小規模な一種の首長を中心とする社会が散在するのみであった。この小規模な首長社会を,フィリピン国語の基礎になるタガログ語ではバランガイと呼んだので,それがフィリピン全域にわたる同種の社会をさす歴史用語になった。バランガイは通常30~100戸程度の単位家族で構成され,ダトゥあるいはマギノオなどと呼ばれる首長によって統率された。バランガイの基本的構成員は,首長の親族か姻族であったので,バランガイは親族集団と呼ぶことができる。また首長は専制的な支配者ではなく,もっぱら集団の取りまとめをする同等者中の第一人者であった。首長の下にはバランガイの中核的構成員である自由民ティマガと,アリピン・ナママハイ,アリピン・サギギリルの2種の隷属民がいた。アリピン・サギギリルはふつう戦争などで捕獲された捕虜奴隷で,売買されることもあった。アリピン・ナママハイは負債や罰金刑などのために自由民から転落した身分で,あがない金を払って元の身分に戻ることもできた。このようにバランガイ内の身分関係は,柔軟で流動性の高いものであった。人々はまたある種の儀礼を行って,所属するバランガイを移動することもできた。バランガイ内の紛争は慣習法に基づいて,首長や長老によって裁かれたが,バランガイ間の紛争には近隣の複数の首長や長老による仲裁制度が発達している地域もあって,バランガイを超える政治的統合体の芽生えもみられた。バランガイの宗教は精霊崇拝で,精霊と交流する能力をもつ司祭が,人々の生活に大きな影響力をもった。スペイン政庁は,バランガイを最末端の行政単位として,その上に町(プエブロ),州(プロビンシア)と積み上げる地方行政組織を作り上げた。この過程でバランガイの名称はしだいに消え,バリオという呼称が一般的となった。1972年に始まるマルコス大統領の戒厳令体制下で地方行政組織の再編成がなされ,バランガイの名称が復活して最も重要な地方行政単位となった。
執筆者:池端 雪浦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報