ペルーの小説家。サン・マルコス大学とマドリード大学で文学を学んだのち、しばらくフランスで亡命者的な生活を送っていたが、軍関係の寄宿学校で過ごした少年時代の経験をもとにした『都会と犬ども』(1963)を発表して一躍注目を浴びる。アマゾンの密林地帯と小都市ピウラを舞台に五つの物語を同時に展開させる、実験的な小説『緑の家』(1965)により国際的な声価を得たあと、オドリア大統領独裁時代(1948~56)のペルー社会を、現代小説のさまざまな技法を駆使して描いた全体小説『ラ・カテドラルでの対話』(1969)を公刊する。
その後も『パンタレオン大尉と女たち』(1973)から、『世界終末戦争』(1981)を経て、『山羊(やぎ)の宴(うたげ)』(2000)に至るまで、3、4年に1冊の割で小説を発表し続けているが、その作風は初期の実験的なものから、しだいに伝統的な小説作法に向かっている観がある。そのほかの作品に、最初の作品集として『ボスたち』(1959)、中編『小犬たち』(1967)、トロツキストが主人公の『マイタの物語』(1983)、推理小説『誰(だれ)がパロミーノ・モレロを殺したか』(1986)がある。
小説のほかに『ガルシア・マルケス――ある神殺しの歴史』(1971)や、『果てしなき饗宴(きょうえん)――フロベールと「ボヴァリー夫人」』(1975)といった評論があり、1980年代以降、劇作にも意欲を燃やしているようで、『タクナの娘』(1981)、『キャシーとカバ』(1983)、『冗談』(1986)などの戯曲を発表している。また、自伝的な要素の濃い『フリア叔母さんと物書き』(1977)、回想録『水を得た魚』(1993)などがある。
1974年に外国生活にピリオドを打ち、ペルーに帰国。作家活動のかたわら民主主義を守る立場から積極的に政治的な発言を繰り返す。76年には国際ペンクラブ会長を務め(~79)、政治犯として投獄されている作家たちの釈放に奔走する。1979年(昭和54)に会長として初来日。87年には、中道右派連合「民主戦線」を結成、90年大統領選に出馬したが、アルベルト・フジモリに敗れる。その後、スペインに帰化した。
[桑名一博]
『鈴木恵子訳『小犬たち(ラテンアメリカ文学叢書)』(1978・国書刊行会)』▽『桑名一博・野谷文昭訳『ラ・カテドラルでの対話』(『ラテンアメリカの文学17』1984・集英社)』▽『高見栄一訳『パンタレオン大尉と女たち』(1986・新潮社)』▽『杉山晃訳『都会と犬ども』(1987・新潮社)』▽『工藤庸子訳『果てしなき饗宴』(1988・筑摩書房)』▽『旦敬介訳『世界終末戦争』(1988・新潮社)』▽『鼓直訳『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』(1992・現代企画室)』▽『木村栄一訳『若い小説家に宛てた手紙』(2000・新潮社)』▽『木村栄一訳『緑の家』(新潮文庫)』
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ペルーの作家。短編集《ボスたち》(1959)で注目されたあと,《都会と犬っころ》(1962)と《緑の家》(1966)の二つの全体小説によって批評家賞,ブレーベ図書賞,ロムロ・ガリェゴス賞などを受賞,一躍ラテン・アメリカ小説の花形となった。《ラ・カテドラルでの対話》(1969),《パンタレオンと女たち》(1973),《フリア伯母さんとドラマ作家》(1977),《世界の終りの戦い》(1981)などの作品のほかに,《神殺しの歴史》(1971),《永遠の祝祭》(1975)のような評論と,《タクナの娘》(1981)や《キャシーと河馬》のような戯曲もある。
執筆者:鼓 直
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…そしてゴム景気も復活したのであるが,終戦とともに衰退し,アマゾニアは再びパラ栗(ブラジルナッツ)や木材の生産,わずかばかりのゴム生産など静かな採取産業の世界に戻ってしまうのである。 近代的なアマゾニアの幕あけは,53年バルガス大統領によるアマゾン経済評価庁(SPVEA)の設立に始まる。そして66年には,これに代わってアマゾン開発庁(SUDAM)が設立され,アマゾン信用銀行がアマゾン銀行に改組されるなど資金的な裏付けも行われた。…
…下級中間層をはじめ,軍,政府,教会,南部ドイツ人社会の中に浸透し,一時は党員20万を擁した。バルガス大統領に協力して共産党を追い落とし,大統領の独裁体制〈新国家(エスタード・ノーボ)〉樹立に協力してその中核組織になるかにみえた。しかし対米協調路線を採用して極右切捨てを図るバルガスと,党の民兵組織を警戒する軍部によって37年12月解散に追いこまれた。…
…軍事反乱を社会革命に転化させようとしたL.C.プレステスの指揮下,反乱軍は全国2600kmを行軍し,運動を全国に拡大した。民族主義的姿勢を強めたテネンテスは資源の国有化,大土地所有制の廃止,中間層の政治参加を主張し,強力な政府の樹立を求めてバルガスに接近した。1930年の革命後,バルガスが臨時大統領になると,テネンテスの一部は政権に参加して政策決定に加わり,権威主義的なバルガス体制を支えた。…
…こうして彼らはノロエステ,奥パウリスタ,奥ソロカバナ鉄道沿線に幾百もの〈植民地〉と呼ばれる日系集団地を形成,日本人会,産業組合,青年団,処女会,日本学校,野球チームなどを組織して,やや日本村落類似のエスニック地域共同体を築いた。 一方,軍事クーデタで政権をとったG.バルガスは国家主義的政策を推進し,外国人に対しては同化主義を強力に適用した。1933‐34年には新憲法審議会を主舞台に排日運動が展開され,排日を目的とした移民制限法が成立した。…
…20世紀初頭から20年代にかけて,アルゼンチンやチリやウルグアイでは,メキシコのような革命という爆発的なかたちをとらずに,漸進的ながらも中間層による政治権力への参加や労働者階級の地位の向上を実現していった。30年代初めの世界恐慌はこの地域の諸国の経済に甚大な打撃を与え,その後,アルゼンチン,ブラジル,チリ,メキシコなどは輸入代替の工業化政策をとるようになり,また,メキシコやブラジル,アルゼンチンではそれぞれ,L.カルデナス,G.D.バルガス,J.D.ペロンのもとで30年代から40年代にかけて労働者階級の地位向上のため積極的な政策がとられるようになった。 一方,中央アメリカやカリブ海では20世紀初頭以来アメリカ合衆国がこの地域に積極的に進出し,この地域を自己の勢力圏とした。…
※「バルガスリョサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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