翻訳|Baltic
インド・ヨーロッパ語族に属する一語派。バルト語にはリトアニア語、ラトビア語の二つの生きた言語のほかに、古プロイセン語、ヤトビンジア語、クロニア語、セミガリア語、セロニア語の五つの死語が属する。これら七つの言語のうち文献を残しているのは、リトアニア語、ラトビア語および古プロイセン語の三言語のみであり、他の四つの言語は、文献がまったく残っていないため、外国語文献中に散見される若干の単語や少数の河川名などによってわずかに知られうるにすぎない。
バルト語は、スラブ語、インド・イラン語、アルメニア語、アルバニア語などとともに印欧語のいわゆるサタム語群に属し、ギリシア語、ラテン語、ゲルマン語、ケルト語などの属するいわゆるケントゥム語群とは異なる方言群に含まれる。バルト語はまた、古代ギリシア語や古代インド語にも劣らぬほどの古い特徴をよく保持しているため、印欧語比較言語学にとって欠かしえない貴重な資料を提供するが、文献の出現は比較的遅い。
まず、古プロイセン語はバルト語のなかではもっとも古い文献を伝えているが、文献の量はごくわずかで、以下のようなものがあげられる。
〔1〕1400年ごろにつくられたドイツ―古プロイセン単語集。これは802の古プロイセン語の単語(と同数のドイツ語の単語)からなるが、オリジナルなものではなく、写本であると考えられている。
〔2〕シモン・グルナウの単語集。これは16世紀の初めにグルナウSimon Grunau(1530ころ没)によってつくられたもので、100の古プロイセン語の単語(と同数のドイツ語の単語)からなる。
〔3〕1545年に出版された二つの教義問答書。これらはルターの教義問答書の翻訳であるが、訳者は不明である。
〔4〕1561年に出版された教義問答書。本書は主任司祭アベル・ビルAbel Will(1515ころ―75ころ)によるルターの教義問答書の翻訳である。
次に、リトアニア語は非常に古い特徴を保持しており、かつ生きた言語であるため、比較言語学の観点からとくに重要な言語であるが、文献としては16世紀以後のものしか残されていない。
16~17世紀の主要な古文献を以下にあげる。
〔1〕1547年に出版されたリトアニア語最古の文献である教義問答書。これはマジビーダスMartynas Mažvydas(1563没)によるルターの教義問答書の翻訳である。
〔2〕1579年に出版された教義問答書。これは、マジビーダスの従兄弟(いとこ)であるビレンタスBaltramiejus Vilentas(1525ころ―87)によるルターの教義問答書の翻訳である。
〔3〕ブレトクーナスJonas Bretkūnas(1536―1602)による聖書の翻訳(1590)。
〔4〕ダウクシャMikalojus Daukša(1613没)による教義問答書の翻訳(1595)とカトリック祈祷(きとう)書の翻訳(1599)。〔5〕シルビーダスKonstantinas Širvydas(1579―1631)によるポーランド―ラテン―リトアニア語辞典の出版。これはリトアニア語最初の辞典であり、最近では1620年以前に出版されたとする説が強い。
〔6〕クレイナスDanielius Kleinas(1609―66)によるリトアニア語最初の文法書の出版(1653)。
〔7〕ルター派とカルビン派の聖職者の一団による『新約聖書』の翻訳出版(1701)。『新約聖書』の改訳出版(1727)。以後、宗教的文献だけでなく、辞典類や文法書などが次々に現れ、またドネライチスKristijonas Donelaitis(1714―80)のような優れた詩人や作家も出て、世界的に有名な作品も生まれるようになった。
最後に、ラトビア語もリトアニア語同様、16世紀以後の文献しか残していないが、ラトビア語最古の文献は、1585年に出版されたカトリックの教義問答書の翻訳であり、ついで1586年にルターの教義問答書の翻訳が現れた。その後、ラトビア語最初の辞典であるラトビア―ドイツ語辞典が1638年に、またラトビア語最初の文法書が1644年にそれぞれ出版された。聖書の翻訳出版はすこし遅れて1685年のことであった。一般に16~17世紀におけるラトビア語の文献は宗教関係のものが主であるが、18世紀以降は文学作品なども多く現れてくる。
[矢野通生]
『Chr. S. StangVergleichende Grammatik der Baltischen Sprachen(1966, Universitetsforlaget, Oslo)』▽『Jānis EndzelīnsComparative Phonology and Morphology of the Baltic Languages, translated by William R. Schmalstieg and Benjaminš Jegers(1971, Mouton, The Hague, The Netherlands)』
インド・ヨーロッパ語族に属する一語派で,現存する二つの言語,すなわちリトアニア語とラトビア語,および死語になった古代プロイセン(プロシア)語(それに若干の方言)からなる。バルト海の南岸にあったプロイセンで17世紀まで話されていた古代プロイセン語はバルト語派の西のグループを形成し,東のグループを形成するリトアニア語とラトビア語とは多くの点で違いがある。バルト語派は語彙と文法の面でスラブ語派と近い関係にあり,バルト・スラブ語同系問題を提起している。この語派に属する言語,とくにリトアニア語はインド・ヨーロッパ語の古い姿を(とりわけその曲用で)伝えているので,この語派はインド・ヨーロッパ比較言語学にとって重要な意味をもっている。
→バルト・スラブ語同系問題
執筆者:千野 栄一
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…【船山 隆】。。…
…小人数の奏者から成る演奏団体。〈管弦〉と訳されるが,実体は弦楽器のみの編成,弦楽器にチェンバロを加えた程度の編成の団体も多い。人数は一定しないが,弦楽器のみの場合の十数名から,管楽器を含む場合でも二十数名程度の団体が一般的である。バロック時代から,古典派初期までは,ほとんどこの程度の編成の団体がオーケストラと呼ばれていた。19世紀に入ってオーケストラはしだいに大型化し,19世紀末には巨大なものとなったが,20世紀に入ってから一種の反動として室内管弦楽団が復活した。…
…【片山 千佳子】。。…
…【家田 修】。。…
…【船山 隆】。。…
※「バルト語派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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