バルト3国(読み)バルトさんごく(英語表記)Baltic States

翻訳|Baltic States

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルト3国」の意味・わかりやすい解説

バルト3国
バルトさんごく
Baltic states

バルト海東岸に臨むエストニアラトビアリトアニアの3国をいう。フィン=ウゴル系のエストニア人およびバルト系のラトビア人リトアニア人の言語・文化圏の成立とともに歴史は古いが,デンマーク,ドイツ,スウェーデンポーランドなど隣接諸列強の支配を受け,18世紀に入ってロシアに併合された。ロシア革命後,1918年に独立を宣言し,共和国となってベルサイユ体制のもと独立維持に努力し,1934年にはバルト3国同盟を締結。第2次世界大戦中の 1940年,軍事圧力による人民政府の成立後,ソビエト連邦に編入された。 1941年以降ナチス・ドイツにより軍事占領されたが,1944年以降,ソ連に復帰した。しかし,1980年代後半独立の要求が高まり,1990年各国は独立を宣言。 1991年国際連合に加盟した。 2004年にヨーロッパ連合 EU北大西洋条約機構 NATOに加盟。

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旺文社世界史事典 三訂版 「バルト3国」の解説

バルト3国
バルトさんごく
Baltic States

バルト海東岸のエストニア・ラトビア・リトアニアの3共和国の総称
エストニアとラトビアは13世紀よりドイツ騎士団領となり,ドイツ人が先住民を支配した。17世紀にスウェーデン領,18世紀初めは北方戦争でロシア領となった。いっぽう,リトアニアはドイツ騎士団と争って独立を守ったが,ロシアとの対抗上,14世紀にヤゲウォ(ヤゲロー)朝としてポーランドと合同した。しかしロシアの支配が強化される中で,19世紀末のアレクサンドル3世によるロシア化政策に強く抵抗し,1917年ロシア革命の際,独立して3国とも共和国となった。イギリスの援助を受け,ドイツとソ連にはさまれながら独立を維持したが,1940年にはソ連の軍事的圧力で,ソ連に強制的に編入させられた。1941年ドイツに占領されたが,44年ソ連に復帰した。その後ゴルバチョフの時代に分離独立の運動が高まり,1991年8月のソ連共産党解散をうけて同年9月に3国は独立を回復し,国連に加盟した。独立国家共同体(CIS)への加入は三国とも拒否したが,北大西洋条約機構(NATO)および,ヨーロッパ連合(EU)加盟に関しては,ロシアの反対などもあって実現していない。

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