バルビゾン派(読み)バルビゾンハ(その他表記)École de Barbizon

デジタル大辞泉 「バルビゾン派」の意味・読み・例文・類語

バルビゾン‐は【バルビゾン派】

19世紀中ごろ、パリ近郊フォンテンブローの森の一隅にある小村バルビゾンに滞在して風景などを描いた画家たちの総称テオドール=ルソーミレーコローなど。フォンテンブロー派

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精選版 日本国語大辞典 「バルビゾン派」の意味・読み・例文・類語

バルビゾン‐は【バルビゾン派】

  1. 〘 名詞 〙 ( バルビゾンは[フランス語] Barbizon ) 一九世紀中ごろ、パリ近郊、フォンテンブローの森の一隅にある村バルビゾンに住んだ風景画家、風俗画家のグループ。自然の単純さ、普遍性を追求し、一九世紀後半の自然主義的傾向に影響を与えた。代表的作家にテオドール=ルソー、ミレー、ディアズ、ドービニーなどがいる。フォンテンブロー派。

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改訂新版 世界大百科事典 「バルビゾン派」の意味・わかりやすい解説

バルビゾン派 (バルビゾンは)
École de Barbizon

19世紀半ばフランスの風景画家グループ。名称は,パリの南東郊,フォンテンブローの森のはずれの村バルビゾンに由来する。T.ルソーは1847年より,ミレーは1849年よりこの村に定住し,ほかにジャックCharles Jacque(1813-94),ドービニー,ディアズNarcisse Diaz de la Peña(1807-76)らが長期ないし短期間住んで,ともに風景画の制作に励んだ。バルビゾン派の起源は,フランス国内ではG.ミシェル,バランシエンヌP.H.de Valenciennes,コローらの風景画が,構成された理想風景からしだいに離れて,自然観察をもとに現実の風景美をたたえるようになったこと,さらにはこのような流れをさかのぼると17世紀オランダの風景画があり,自国のありのままの自然をうたいあげるロイスダール,ホッベマ,ファン・オスターデらの作品が彼らを魅了したことが考えられる。バルビゾン派の描く風景は,森の道とそこを行く人,川と釣舟を浮かべる人,小さな農家と村落,雄々しくそそり立つ樹木など,オランダ絵画と共通するモティーフが非常に多く,またポッテルカイプなどの動物画もトロアイヨンやジャックに深い影響を与えている。

 バルビゾン派の自然に対するかかわり方は,基本的にはオランダ風景画と同じく強い自然崇拝に裏づけられていたが,一方で都市生活の荒廃と堕落から抜け出て自然に救いを求めようとする,19世紀半ばごろの社会的状況に規定されてもいた。そして美術の流れの中においては,物語画(歴史画)や歴史的風景画が高い地位を占めていたのに反逆し,エピソード性の少ないありきたりの風景の一断片を描くことと,美しい断片を集めて構成された風景画を拒否することで,きわめて革新的な位置にあった。しかし,印象派のように戸外で直接キャンバスを立てて本制作をすることはほとんどなく,完成作品はアトリエで仕上げられた。ルソーの晩年やドービニーの作品には,気象の変化や大気の状態へのきわめて敏感な関心が見られ,ディアズらの厚塗りの荒々しいタッチなども初期の印象派に大きな影響を与えている。ミレーは,バルビゾンに住んではいたが,そのヒューマニズムにあふれた人物画によって,他の風景画家たちと一線を画している。
風景画
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百科事典マイペディア 「バルビゾン派」の意味・わかりやすい解説

バルビゾン派【バルビゾンは】

19世紀フランスの画派。フランス語エコール・ド・バルビゾンの訳。フォンテンブローの森に近いバルビゾンに住み,〈フォンテンブロー派〉ともいった。ジャン・フランソア・ミレードービニー,ディアズ,テオドール・ルソー,一時期のコローなどが含まれ,身近な自然を親しみ深く描き,風景画に新生面を開いた。印象主義にも影響を与えた。
→関連項目コンスタブル千葉県立美術館デュプレフォンテンブロー派山梨県立美術館ヨンキントリーバーマン

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルビゾン派」の意味・わかりやすい解説

バルビゾン派
ばるびぞんは
Ecole de Barbison

19世紀フランスの画派。パリ郊外フォンテンブローの森の一隅にある小村バルビゾンに、主として1830年代から60年代にかけて、長期的あるいは短期的に滞在して風景を描いた画家たちの総称。1833年以来この地でしばしば制作し、46年から定住して生涯を終えたテオドール・ルソーの家の納屋が、画家や批評家たちの会合の場所となり、ルソーはいわばこの派の精神的な中心ではあったが、しかし特定な主義をもつ統一的な集団ではない。逆に、各人それぞれの性向や画風によって多様な方向が展開された。ただ、フォンテンブローの森への愛着と、その場で描くという自然主義の姿勢が共通点であり、ロマン主義から印象主義へと移行する時代の自然主義への動向を形成したというべきであろう。

 主要な個性は、コロー、ミレー、ディアーズ、デュプレ、ドービニー、シャルル・ジャック、ポール・ユエ、アンリ・アルピニーたちで、クールべやドーミエ、動物彫刻のバリーたちもここで制作し、のちには印象派の画家たちもここを訪れている。また外人画家でこの地に滞在して描いた例も多い。これら多くの画家たちの画風はきわめて多様ではあったが、古典的な歴史風景画から脱却し、自然の神秘的、汎神論(はんしんろん)的な情調を描くというロマン主義・自然主義的な風景から出発して、しだいに、より現実的な視覚効果の追求へとたどり着いている。印象派の外光主義を直接導いたドービニーたちの画風などがその例である。

[中山公男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルビゾン派」の意味・わかりやすい解説

バルビゾン派
バルビゾンは
École de Barbizon

19世紀中葉のフランスの風景画家のグループ。名称は,1830年頃から彼らが移り住んだパリ近郊フォンテンブローの森の入口にある小村バルビゾンに由来する。ほかに「1830年派」とも「フォンテンブロー派」とも呼ばれる。 J.ミレー,T.ルソー,ディアズ・ド・ラ・ペーニャ,J.デュプレ,C.トロワイヨンらを中心に C.コローや G.クールベもときおり加わり,自然に対するロマンチックな感情と抒情的な画趣のある風景画を描いた。バルビゾン村は近代的な風景画の国際的な中心地としてアメリカまで知られた。印象派の画家ルノアールらも,一時フォンテンブローの森を根拠地として制作した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バルビゾン派」の解説

バルビゾン派(バルビゾンは)
L'école de Barbizon

1830年頃からパリ東南フォンテーヌブローの森に隣接するバルビゾン村に住み,自然主義的な風景画を描いた一派。ミレーコロー,ルソー(セオドア)らが最も有名である。彼らはコンスタブルの影響を受け光線によって無限に変化する風景をありのままに写そうと考えたが,その傾向は個性によって著しく異なる。

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