19世紀半ばフランスの風景画家グループ。名称は,パリの南東郊,フォンテンブローの森のはずれの村バルビゾンに由来する。T.ルソーは1847年より,ミレーは1849年よりこの村に定住し,ほかにジャックCharles Jacque(1813-94),ドービニー,ディアズNarcisse Diaz de la Peña(1807-76)らが長期ないし短期間住んで,ともに風景画の制作に励んだ。バルビゾン派の起源は,フランス国内ではG.ミシェル,バランシエンヌP.H.de Valenciennes,コローらの風景画が,構成された理想風景からしだいに離れて,自然観察をもとに現実の風景美をたたえるようになったこと,さらにはこのような流れをさかのぼると17世紀オランダの風景画があり,自国のありのままの自然をうたいあげるロイスダール,ホッベマ,ファン・オスターデらの作品が彼らを魅了したことが考えられる。バルビゾン派の描く風景は,森の道とそこを行く人,川と釣舟を浮かべる人,小さな農家と村落,雄々しくそそり立つ樹木など,オランダ絵画と共通するモティーフが非常に多く,またポッテルやカイプなどの動物画もトロアイヨンやジャックに深い影響を与えている。
バルビゾン派の自然に対するかかわり方は,基本的にはオランダ風景画と同じく強い自然崇拝に裏づけられていたが,一方で都市生活の荒廃と堕落から抜け出て自然に救いを求めようとする,19世紀半ばごろの社会的状況に規定されてもいた。そして美術の流れの中においては,物語画(歴史画)や歴史的風景画が高い地位を占めていたのに反逆し,エピソード性の少ないありきたりの風景の一断片を描くことと,美しい断片を集めて構成された風景画を拒否することで,きわめて革新的な位置にあった。しかし,印象派のように戸外で直接キャンバスを立てて本制作をすることはほとんどなく,完成作品はアトリエで仕上げられた。ルソーの晩年やドービニーの作品には,気象の変化や大気の状態へのきわめて敏感な関心が見られ,ディアズらの厚塗りの荒々しいタッチなども初期の印象派に大きな影響を与えている。ミレーは,バルビゾンに住んではいたが,そのヒューマニズムにあふれた人物画によって,他の風景画家たちと一線を画している。
→風景画
執筆者:馬渕 明子
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1830年頃からパリ東南フォンテーヌブローの森に隣接するバルビゾン村に住み,自然主義的な風景画を描いた一派。ミレー,コロー,ルソー(セオドア)らが最も有名である。彼らはコンスタブルの影響を受け光線によって無限に変化する風景をありのままに写そうと考えたが,その傾向は個性によって著しく異なる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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