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バン・デ・ベルデ バンデベルデ

百科事典マイペディアの解説

バン・デ・ベルデ

ベルギー出身の建築家,デザイナー。近代デザイン運動の先駆者。アントワープ生れ。アントワープ・アカデミーで絵画を学んだのちパリに滞在し,スーラらの影響を受ける。帰国後画家として活動。1895年ギャラリー・ド・ラール・ヌーボー(パリ)の内装を手がけ,アール・ヌーボーのデザイナーとして評価を受ける。ベルリンに移りホーエンホーフ(ハーゲン,1906年)などを設計した後,1906年ワイマールに工芸学校を設立して学長となる。ドイツ工作連盟の設立(1907年)にあたっても中心的役割を果たし,ドイツ工作連盟展モデル劇場(ケルン,1914年)を設計。第1次大戦後はスイスに移住しクレーラー・ミューラー美術館(オッテルロー,1937年―1954年)などを手がけた。
→関連項目オルタクレーラー・ミュラー美術館

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バン・デ・ベルデ
ばんでべるで
Henry Clemens Van de Velde
(1863―1957)

ベルギーの建築家、工芸家。アントウェルペン(アントワープ)に生まれ、同地の美術学校に学んだのち、パリに出て新印象派の画家や象徴派の詩人と交わる。1889年からブリュッセルのグループ「二十人組」に加わり、ここでイギリスのウィリアム・モリスの社会的広がりをもった仕事に影響され、デザインに転じた。92年ブリュッセルに産業美術工房を設立、97年の自邸の建築に際しては建物から生活用具のいっさいを有機的デザインで貫いた。その新しい装飾の方向が、パリの美術商ビングによってアール・ヌーボーとして紹介され、さらに同年ドレスデン工業博覧会出品の家具や装飾が彼の評価を国際的にした。99年ベルリンに移り、1902年からはザクセンのワイマール大公の招聘(しょうへい)で教育活動に従事、06年にはワイマール美術学校を設立し、やがてバウハウスにその理念を受け渡した。第一次世界大戦中はスイスに移住、戦後は26年にブリュッセルで装飾芸術研究所を創立して教育活動を続けるかたわら、オッテルローのクレーラー・ミューラー美術館(1937~54)などを設計。第二次大戦後はふたたびスイスに移り、チューリヒに没。建築やデザインにおける画一主義の趨勢(すうせい)のなかで、生涯を人間的な発想で全うした意義は大きい。著作に『近代建築美の公式』(1917)、『回想録』(1962)などがある。[高見堅志郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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