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バークリー Berkeley, George

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バークリー
Berkeley, George

[生]1685.3.12. キルケニー
[没]1753.1.14. オックスフォード
イギリスの哲学者,聖職者。 1700年ダブリンのトリニティ・カレッジに入り,07年以後同カレッジ研究員。『視覚新論』 Essays towards a New Theory of Vision (1709) や主著となった『人知原理論』A Treatise concerning the Principles of Human Knowledge (10) を著わした。 13年ロンドンに出て,J.スウィフト,A.ポープらと交わり,2度にわたってフランス,イタリアなどに遊学し,21年ダブリンに帰った。 29年植民者と北アメリカ先住民の教化のための大学をバミューダに設立すべく新大陸に渡ったが失敗して 31年帰国。 34年クロインの監督となり,著述と司牧に専念した。彼の思想は同時代には多くの賛同を得なかったが,死後にスコットランド学派 (→常識哲学 ) や D.ヒューム,J.S.ミルを経て 20世紀の経験論にまで大きな系譜を残している。

バークリー
Berkeley,Sir Lennox(Randall Francis)

[生]1903.5.12. オックスフォード近郊ボーズヒル
[没]1989.12.26. ロンドン
イギリスの作曲家。 1926年オックスフォード大学卒業後,パリに留学し,N.ブーランジェに作曲を師事。 36年バルセロナの ISCM音楽祭で『序曲』が演奏され,注目された。ほかに歌劇,交響曲協奏曲室内楽合唱曲,歌曲など。王立音楽院,キール大学の教授やチェルトナム音楽祭の会長を歴任,74年にはナイトの称号を受けた。

バークリー
Berkeley, Sir William

[生]1606. サマセット
[没]1677.7.9. トゥイックナム
アメリカ植民地時代のイギリスの行政官。1641年バージニア植民地総督に任命され,清教徒革命に際しては王党派を支持し,1649年から一時追放されたが王政復古で 1660年に帰任。一部の特権プランター(大農場主)と結んで独裁政治を行ない,14年間も議会を招集せず官職毛皮交易の独占を進めた。1676年奥地開拓農民とインディアンとの紛争をきっかけに,ナサニエル・ベーコンの指導下に反乱が起こり,一時首都ジェームズタウンを追われたが,ベーコンの死と内部紛争で反乱軍が解体すると,血の復讐まで行なった(→ベーコンの反乱)。1677年に本国に召還された。

バークリー
Berkeley

アメリカ合衆国,カリフォルニア州中西部,サンフランシスコ湾北東岸にある都市。オークランド市に隣接する大学町。元来サンアントニオ牧場の一部であったところに,1868年カリフォルニア大学が設置されたことに始る。地名は,アメリカの高等教育に努力したアイルランド人司教 G.バークリーにちなむ。市東部には,大学に近接して神学校,視覚・聴覚障害児のための州立学校などがある。市の西部には,各種の工場があって,サンフランシスコ湾工業地域を形成。湾岸部に海洋公園がある。人口 11万2580(2010)。

バークリー
Barclay, Alexander

[生]1476頃
[没]1552
イギリスの聖職者,詩人。ドイツの詩人 S.ブラントの有名な風刺詩『愚者の船』の英訳"The Ship of Fools" (1509) で知られる。

バークリー
Barclay, William

[生]1907. スコットランド,ウィック
[没]1978.1.24.
イギリスのプロテスタント神学者。聖書学者。グラスゴー大学で神学,古典学を学び (1925~33) ,マールブルク大学に留学したのち,グラスゴー近郊レンフリューのトリニティ教会牧師。 1947年からグラスゴー大学教授となり,新約聖書学,聖書批判学,神学などを講じ,のちに神学部長となった。"The New English Bible"の翻訳にも参加し,合唱指揮者としても知られる。特に主著"The Daily Study Bible" (53~59) は 17巻 5900ページに及ぶものであり,現代神学の成果を専門用語を用いないで一般信徒に伝え,新約聖書の教えを今日の日常生活に関連づけようとするものであって,新約聖書と同時代のユダヤ,ギリシア,ラテンの古典を縦横に駆使しつつ説得的に説かれたこの労作は広く英語圏で読まれているだけではなく,スペイン語,ノルウェー語,ポーランド語,中国語,日本語などにも訳されている。

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百科事典マイペディアの解説

バークリー

米国,カリフォルニア州,サンフランシスコ湾東岸に位置する住宅・学園都市。サンフランシスコ衛星都市の一つで,同市とはベイ・ブリッジで直結する。大半は住宅地であるが,石鹸,塗料,薬品,自動車などの工業もある。

バークリー

英国の哲学者,聖職者。ロック,ヒュームと並ぶイギリス経験論の代表者。ロックやマールブランシュに学びながら,概念構成をもっぱらとする認識論を現象主義的に転回,主著《視覚新論》(1709年)および《人知原理論》(1710年)で,知覚を離れて存在する対象はないとする非物質論を唱えた。
→関連項目イギリス経験論観念論ヒューム

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

バークリー

イギリスの作曲家。ピアノ作品としては、ソナタや前奏曲、練習曲の他、小品を作曲している。オックスフォード大学で言語学を学んだ後、パリでブランジェに師事した。ストラヴィンスキーやプーランクとの親交もある ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

バークリー【Berkeley】

アメリカ合衆国カリフォルニア州西部,サンフランシスコ湾東岸の大学都市。人口10万(1994)。湾と丘陵の間に住宅街が多い。車や湾の下を走る高速鉄道BARTで通えるため対岸のサンフランシスコのベッドタウンでもあるが,カリフォルニア大学の中心キャンパスがここにあるので有名。サンフランシスコ湾周辺地域Bay Areaは自由で解放的な空気が強く,学生たちは1964年政治活動を禁止する大学当局の方針に反抗して〈言論の自由運動Free Speech Movement〉(フリースピーチ運動)を開始した。

バークリー【Busby Berkeley】

1895‐1976
アメリカのミュージカル(舞台および映画)の振付師,映画監督。1930年,ブロードウェーからハリウッドへ招かれ,メリー・ピックフォードの唯一のミュージカル《キキ》(1931)などの振付を担当。ワーナー・ブラザースのレビュー映画《四十二番街》(1933),《ゴールド・ディガース》シリーズ(1934‐36)などで舞台の制約を超えて空間を映画的に拡大し,モノレールやクレーンにのせたカメラを自由自在に駆使し,とくに真上(トップ)から大俯瞰でとらえたショットは〈バークリー・トップ・ショット〉とよばれ,コーラスガールの群舞のシーンをまるで幾何学模様のように,あるいは万華鏡のように撮って,華麗でリズミカルな場面に構成した独創的で大胆なカメラワークは,ミュージカル映画史上もっとも視覚的な効果を生み出した画期的な映画技法とみなされる。

バークリー【George Berkeley】

1685‐1753
イギリスの哲学者。ロック,D.ヒュームらとともにイギリス経験論の伝統に連なる。アイルランドの生れで,一生アイルランドとの縁が深かったが,彼の家系はイングランドの名門貴族につながり,信仰の面でもきわめて敬虔な国教徒であった。ダブリンのトリニティ・カレッジで助祭に任命されて以来,聖職を離れたことがなく,30歳代には新大陸での布教を志し,バミューダ島に伝道者養成の大学を建設するため奔走した。政府の援助が続かず計画は挫折したが,1734年にはアイルランドのクロインの司教に任ぜられ,教区の住民に対する布教,救貧,医療に力を尽くした。

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大辞林 第三版の解説

バークリー【George Berkeley】

1685~1753) イギリスの哲学者。ロックの経験論を継承するが物質の客観的実在性を否定し、「存在するとは知覚されること」という主観的観念論を主張。主著「人知原理論」

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世界大百科事典内のバークリーの言及

【ミュージカル映画】より

…そのなかにあって,キング・ビダー(ビドア)監督のオール・ニグロ・キャストによる《ハレルヤ》(1929),エルンスト・ルビッチ監督で,モーリス・シュバリエとジャネット・マクドナルドのコンビによる《ラヴ・パレィド》(1930),同じコンビでルーベン・マムーリアン監督の《今晩は愛して頂戴ナ》(1932)が〈音〉の処理をめぐるトーキーの技法とともに,ミュージカル映画のスタイルそのものを前進させた。 そしてワーナー・ブラザースでバスビー・バークリー(バークレイ)の振付による《四十二番街》(1934)が,奔放なカメラワークによって音楽と視覚的イメージを華麗に結びつけ,〈フィルム・レビュー〉とか〈シネ・オペレッタ〉と呼ばれるものとは一線を画する新しいスタイルをつくりあげ,続いて〈ジャズ・ビート〉を持ち込んでタップ・ダンスを踊りの基礎にした《ゴールド・ディガース》(1933),《フットライト・パレード》(1933)によってバークリーならではの特色を示した。一方,RKOのフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズGinger Rogers(1911‐95)のコンビが,《空中レヴュー時代》(1933)でデビューし,《コンチネンタル》(1934),《トップ・ハット》(1935),《有頂天時代》(1936),《踊らん哉》(1937)等々でジョージ・ガーシュウィン,コール・ポーター,ジェローム・カーン,アービング・バーリンの音楽に乗った〈キャリオカ〉と呼ばれる踊りとともに人気を博した。…

【イギリス経験論】より

…多くの場合,大陸合理論と呼ばれる思想潮流との対照において用いられる哲学史上の用語。通常は,とくにロックG.バークリーD.ヒュームの3人によって展開されたイギリス哲学の主流的傾向をさすものと理解されている。通説としてのイギリス経験論のこうした系譜を初めて定式化したのは,いわゆる常識哲学の主導者T.リードの《コモン・センスの諸原理に基づく人間精神の探究》(1764)とされているが,それを,近代哲学史の基本的な構図の中に定着させたのは,19世紀後半以降のドイツの哲学史家,とりわけ新カント学派に属する哲学史家たちであった。…

【感覚論】より

…sensualisme(感覚論)という用語は19世紀初頭以来,フランスで使われており,フランスの《アカデミー辞典》には,1878年版から採録されている。イギリスでは,sensualistという語は,すでに18世紀以来使用されていたが,この語は語源どおり〈快楽主義的〉〈肉欲主義的〉という軽蔑的意味しかもっていなかった(バークリー《アルシフロン》第2巻,16章)。したがってとくにフランスでは感覚論をあらわすには,sensualismeではなく,正しい語源に由来するsensationnismeという語を使うべきである,とする意見も少なくない。…

【観念】より

…だが経験的観念の理論によって,実体などの観念もさまざまな経験的単純観念の複合体以外には考えられなくなり,それらの背後にあって統一を与える基体といった伝統的実体概念は批判されるに至る。 ロックの観念の用法や考え方は,概念の意味は除いてバークリーにも継承された。バークリーは能動的作用としての精神とその唯一の対象である観念のみを認めて抽象観念を批判し,とりわけロックでは妥協的に許容された物体的実体を徹底的に排除した。…

【観念論】より

…この型の観念論は形相主義,イデア主義としての客観的観念論であり,実在論と言いうるが,イデアの認識に関しては主観なしにはありえない。他方,17世紀以来の英仏哲学では,主観ないし心の表象,意識内容としてのアイディア,イデーが観念と呼ばれ,〈在るということは知覚されることであり心は知覚の束である〉と説くG.バークリーの主観的観念論が成立する。この型の観念論は主観内の観念の外部の事物を扱わぬ傾向があり,実在論や唯物論の非難の対象になる。…

※「バークリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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