日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒエ」の意味・わかりやすい解説
ヒエ
ひえ / 稗
穇
イネ科の一年草。中国・日本栽培ヒエEchinochloa utilis Ohwi et Yabuno と、インド栽培ヒエE. frumentacea (Roxb.) Linkの2種がある。種子を食用に、また茎葉を飼料とするために栽培する。葉は細長く、葉身と葉鞘(ようしょう)とに分かれる。生育にしたがって大きな葉が出現し、上位の葉は葉身が長さ50~70センチメートル、幅約3センチメートルになる。7~10本の分げつを生じ、草丈1~2メートルになり、夏に穂を出す。穂は長さ10~30センチメートル。穂軸から25~30本の枝(一次枝梗(しこう))を出し、さらに枝(二次枝梗)が出てそれぞれに小穂をつける。穂の形によって密穂、開散穂、中間型穂の3型に分けられ、品種の特徴ともなっている。小穂は二つの小花からなり、上位の小花だけ結実する。果実は穎果(えいか)で、1本の穂の結実穎果数は2000~5000個、多いものでは6000個に及ぶ。穎果は光沢があり、長さ2.3~3.5ミリメートル。穎の色は灰、赤、黄褐、暗褐色など。穎を除いたものを玄稗(げんぴ)とよび、扁球(へんきゅう)形で長さ2~2.5ミリメートル。玄稗1000個の重さは2.8~3.8グラムである。
[星川清親]
起源と伝播
中国・日本栽培ヒエ、インド栽培ヒエとも六倍種であるが、その染色体構成は異なる。中国・日本栽培ヒエは、アジア、アフリカ、ヨーロッパの温帯から熱帯に分布している。野生のノビエE. crus-galli Beauv.から作物化した。中国では2400年前から栽培され、それが朝鮮半島を経て縄文時代に日本に伝来したと考えられ、アワとともに稲作伝来以前の日本最古の穀物とみられている。アメリカには18~19世紀に日本から伝わり、飼料として栽培された。一方、インド栽培ヒエは、熱帯地域に広く分布する野生種E. colona (L.) Linkから作物化した。古くからインドで栽培され、東南アジア各地に広まり、食料および飼料用に利用されてきた。ほかにエジプト、エチオピア、ヨーロッパに伝わり、栽培化された。
[星川清親]
生産状況
アジアを中心に副作物として広く栽培されているが、生産量は多くなく、正確には把握されていない。日本では明治初期には10万ヘクタールの作付けがあり、7万~8万トンの生産があった。しかし、その後年々減少し、第二次世界大戦直後には3万ヘクタール、約3万トンとなった。さらにその後も減少し続け、現在では郷土料理店との契約栽培などの特殊な例を除くと、水田転作物として飼料用にわずかに栽培される。
[星川清親]
品種
日本においては約60品種が区別されているが、育種学的な品種改良はほとんど行われていない。北海道から東北地方に分布するのはおもに早生(わせ)品種で、生育日数は120~130日、近畿地方以西の品種はおもに晩生(おくて)で、生育日数は140~150日である。中間の地域には早生と晩生の両品種が混在している。粳(うるち)と糯(もち)の品種があるが、両者の区別は明瞭(めいりょう)ではない。日本では粳品種が多い。
主要品種は、北海道から東北地方北部の早生白稗(しろびえ)や、中部地方以北の高冷地で栽培される水来站(すいらいてん)をはじめ、子持(こもち)稗、坊主(ぼうず)稗などがある。
[星川清親]
栽培
湿潤な土地に強く、また生育初期を除けば干魃(かんばつ)にも強く、環境への適応力が強い。また比較的低温にも強いため、古来救荒作物として栽培された。また、他の穀類の育ちにくい寒地や高冷地でも栽培され、古くから山地の焼畑栽培にも取り入れられた。播種(はしゅ)は北海道、東北地方では5月上旬から下旬、西日本の暖地では6月中旬まで行う。発芽後の乾燥に備え、乾きやすい土地では低畦(ひくあぜ)とする。播種量は一般には10アール当り0.3~0.7キログラムで、畦間(あぜま)約60センチメートルで播(ま)く。苗代で苗をつくり、冷水田などに移植栽培することもあった。畑では生育初期に間引きをし、中期には倒伏を防ぐために土寄せをする。病虫害には強いが、アワノメイガやアワヨトウによる虫害を受けることがある。茎葉が黄色になって穂の8分くらい成熟したころ株元から刈り取る。普通は9月上旬から中旬で、暖地では10月上旬になることもある。刈り取りが遅れると強風で成熟粒が落ちたり、鳥害を受けたりする。刈り取った株は1~3週間乾燥し、後熟させる。後熟後、十分成熟してから脱穀する。飼料用の栽培では、草丈が45~60センチメートルになったら青刈りする。年2、3回刈り取ることができる。連作障害が出やすいので、ソバやムギ類、ダイズなどと輪作するようにする。
[星川清親]
利用
玄稗を精白し、食用とする。精白粒の成分は100グラム当り水分12.0グラム、タンパク質9.8グラム、脂質3.7グラム、炭水化物73.2グラム、灰分1.3グラム、白米に比べてタンパク質は1.5倍、脂質や灰分は2倍を超す。また消化率もよく、ビタミンBも多い。しかし、味が悪いため、古来下等な穀物として扱われてきた。米と混炊したり、団子や餅(もち)として食べる。また、飴(あめ)にしたり、みそやしょうゆ、酒の原料とする。ヒエは穀物のなかでもとくに長期間貯蔵できる特質がある。玄稗を精白するときに出る稗糠(ひえぬか)は、搾油原料や飼料とする。また子実を家畜や家禽(かきん)の飼料とする。ヒエの稈(かん)はイネやムギ類の藁(わら)に比べて柔らかく、粗飼料として良質である。また、青刈りした茎葉は飼料価が高く、牛馬の飼料とする。
[星川清親]
民俗
『百姓伝記』(17世紀末)に「土民第一の食物」とあるように、ヒエはアワと並んで米食以前の常食とされた穀物であり、農村ばかりでなく都市においても食されていた。田稗は各地に稗田(ひえだ)の地名が残っているように、元来水田につくられていたが、しだいに畑作化されてゆき、米と混ぜた稗飯(ひえめし)のほか、粥(かゆ)、餅、団子などに調理されて食されていた。ヒエは、石臼(いしうす)で挽(ひ)いて粉食するのは簡単でも、粒食するには調製が容易でなく、多くの場合それは主婦の労力と勤勉を必要とした。したがって、その仕事から労働歌としての稗搗唄(ひえつきうた)も生まれた。やがて、一度蒸してから搗(つ)くという調製法がくふうされ、その労苦も減少することになったが、反面カビがつきやすくなり、稗飯の外観を貧相にする結果となった。そのため粗悪な食事の代表のように考えられるに至ったが、栄養は米に勝るともいわれる。またヒエは長期間保存しても変質しないという特長をもつので、山村では凶作に備えてこれを毎年貯蔵するための稗倉(ひえぐら)を設けた所が多い。なお、これを醸してつくる稗酒が、供物として神祭りに用いられた。
[湯川洋司]